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認知症の母と2人でお散歩した時の話

先月の終わり頃に、珍しく母と2人でお買い物兼散歩に行った。 
お店までは近く、15分直進して、曲がって5分くらいの道のり。行きはその道で行って、帰りは、裏道を歩いて帰ることにした。
私は、裏通りを普段、全く歩かないので、「お母さん、どっちかな?」と分かれ道がくると母に聞いていた。帰り道は、迷いながら、やっとこすっとこ、お家に近づいて、無事に帰宅。

帰宅した母が、父に話したことがあった。
「なんか歩いている最中に、街並みが実家に戻る道に似ている気がして、実家に帰る気持ちになったの」と母。
私としては、「エーッ!!」
一緒に歩いて、「ここの公園は、しほが小さい時に、よく遊びにきたの覚えてる?」とか話していたのに。
母の心の中では、昔の記憶が同時進行で存在していて、実家に帰る記憶と娘と自分の家へ戻ることの両方をいったりきたりしていたのだ。
何というか、「器用だな・・・」と思う反面、一緒に歩いていても、同じものを見ていても、母が昔の記憶の中にいることもあると思うと、なんだか複雑な気持ち。
「母に寄り添おうとしても、母の記憶の中に、どれだけ寄り添うことができるだろう・・・」としみじみ感じた時だった。
そして、同時に「やっぱり、病気なんだね」と感じた瞬間かもしれない。普通に生活するぶんには、色々と慣れてきたこともあるけど、ふとした時に、病の気配を感じる。

川に浮かぶ鴨を見て「何か食べるものあるかな?」と話したり、親子連れに出会って、子供の愛らしさに、にこやかに笑ったりする母。
買い物メモを片手に一生懸命に買い物をする母。
どちらも、あたりまえの姿だけど、なんだか、とても尊いもののように感じた。

(2012.7.11)

このころは、母は自分の気持ちを言葉で伝えられたんだな。2020年の母は、思ったことをこんな風に話すことは少ない。苛立ちの時と作話を話す時は、言葉数が多いけど。普段は、こちらが、「こう思っているのかな?」とイメージしながら母に聞く。そして、母が短く「うん、そう」と答えたりする。
母の気持ちを知るのが、難しい。
でも、お散歩している時の母は、楽しそう。動物と子ども、お花に、よく反応する。あと、お月さまにも。感性は、豊かだ。

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