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芸に天才はいても人生に天才はいない

こんにちは彭城吾朗(さかきごろう)です。

最近、
というか前からですが、
自分は小説家ではなく、
エッセイストのほうがまだ向いているんじゃないだろうか、
という考え(一種の疑い)があり、
連日ああでもないこうでもないと、
今後の文筆活動のプランについて思考を連ねています。
画家時代、
ペインティングとドローイングの比重が、
2対8くらいでした。
マイナーとされるドローイングのほうが好きで、
肌に合っていて、
そうなっていました。
これを文学に置き換えると、
ペインティング→小説、
ドローイング→エッセイ、
なのかなあと。

読み手としても、
小説よりエッセイ読むほうが好きですね。
エッセイは肩ひじ張らずにイージーに楽しめるところが好きです。

小説ではなくエッセイのほうに自分の人生を開花させる糸口があるのなら、
それはそれでよいかとも思うのですが・・・。

ただ、
ひとえにエッセイストを目指すといっても、
どんなルートを辿って世のエッセイストたちがプロになったのか、
なってるのか、
全く知りません。
小説の世界の芥川賞直木賞みたいな登竜門とかあるのでしょうか。

画家時代、
そんじょそこらのペインティングよりパワフルな絵をドローイングで描くというのを目標に掲げていましたが、
同じように、
小説より深みがある、
美的で芸術性の高いエッセイを書く作家になるというのも、
ある意味カッコいいことなのかもしれません。

今日こんな話題で記事書いているのも、
自分の小説とそれを書く才能に疑問が生じているからですが、
それももうけっこう長い年月のこととなります。
ただ、
私の小説に才能を感じると言ってくれる人も周囲にちらほらいます。
ある小説家の友人は以前、
当時私が書いた小説の文体が彼の理想の文体だったらしく、
真顔で私がその作品で新人賞を取るだろうと予言しました。
予言は外れましたが笑

音楽や絵画と違って、
文芸というのは、
自分の作品を自分で客観的にその良し悪しを見極めることがとても難しいジャンルだと思います。
文章を書くっていう作業は、
ようは手足の延長みたいなもので、
人それぞれ、各々の自然体なことだから、
それの才能がどうのこうのっていうのを、
自分ではちゃんと見えない気がします。

加えて、
小説となると、
文章の才能だけでなく、
その人が歩んできた、経験してきた人生そのものがモチーフ、材料になるので、
私の持論に、
「芸に天才はいても人生に天才はいない」
というのがあって、
その、
「人生」が大きく問われる小説というジャンルの、
良し悪しの見極め、才能の見極めは、
それが自分自身の作品ならとんでもなく難しいことに思えます。

さて、
私はこれからずっと小説を書き続けていけるのでしょうか。
自分は小説向いてないのでしょうか。

それともいつか小説で栄光を手にするのでしょうか。

本当は小説より愛しているエッセイというジャンルに、
成功のカギがあるのでしょうか。







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