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「デザイン思考」に関する幾つかの事実

今日もデザイン思考研修の波に追われよれよれしている日々ですが皆様お元気でしょうか?

デザイン思考の研修をおそらく数十回やった。その結果いくつかの事実が明白になった。

  1. デザイン思考研修ででてくる提案の95%(主観評価)は教育的価値を除けばほとんど無価値。最低10回は聞いたことがある案、案にもなっていない案、ユーザが1名も獲得できそうにない案が大半。

  2. デザイン思考で一番難しいのはHow might we?を定義するところ。他にも難しい点はあるがHow might weでは立ち止まってしまうグループが多い。なぜかというとここだけが「創造」だから。しかしこの「創造」たるHow might we?が一番肝心なプロセス。
    しかし「デザイン思考」はHow might we?に関してはほぼ何も言っていない。例を挙げておしまいにしている。

  3. それまでにデザイン思考の研修を受けたことがある、とか学校でデザインを学んだということと、研修のアウトプットに相関関係はない。今年度最も興味深いアウトプットを出したグループの一つは高校1年生の3人組だった。

  4. デザイン思考を生業としている人たちの多くは本来の「創造であるデザイン」から最も遠いところに位置している。彼らと彼女たちは大量の図やチャートを生み出すが何も価値あるものを生み出さない。

  5. さらにデザイン思考を生業としている人たち(デザイナーではなく「デザイン屋」と呼ぼう)は自分たちのプロセスを振り返り改善するということを一切せず、「デザイン思考」を墨守し無価値なアウトプットを量産することで利益を得ている。もちろん資本の移動以外社会にインパクトは一切与えない。

  6. グループで行うデザイン思考と、個人で行うAハート思考のアウトプットを比べるとほとんどの場合後者の方が短い時間で良いものがでてくる。

ある人が言った簡潔な言葉が状況を要約している。
「デザイン思考はデザインの素養がある人が行えば機能する」
もう少し長く書けばこういうことである。

  1. 「デザイン思考」は本来の創造たるデザインから「創造」を取り去り、いくつかの創造をサポートする手法を並べた物である。したがってそれだけでは意味があるアウトプットは出てこないし、それを目指してもいない。

  2. では「デザイン思考の研修」は全く無意味か、と言えばそうではない。反復型開発、ユーザ中心設計、インタビュー、現場観察などは「覚えておくに越したことはない」手法。ただしそれらの手法を学んだだけでは意味があるアウトプットを作りあげることはできない。なぜならそれら自体は「創造」の手法ではないから。

  3. そうした「役には立つが、何も生み出さない」デザイン思考を生業とする「デザイン思考屋」はそうしたデザイン思考の「本質」に気がついて見て見ぬふりをしているか、そもそもデザイン思考の「本質」に気がつけないかどちらか(後者がほとんどのように思うが)。いずれにせよそれを生業としているため、「アウトプットが無価値」という現実から目をそらし「デザイン思考」に固執する。

上記主張に関していくつかの傍証をあげる。

  • IDEOが名をあげるきっかけとなったショッピングカートのデザインプロセスの番組を見ると良い。今世の中に広まっている「デザイン思考」とは似て非なるプロセス。グループが漂流している時に、「大人」=シニア・デザイナーが集まって議論をする。そうした非常に重要な要素が「デザイン思考」からは欠けている。

  • そもそもIDEOは「デザインを全く知らない人」たちの集団ではない。ではなぜ「デザイン思考を学べば誰でもイノベーションが起こせます」などと無邪気に主張できるのか?誰でもデザイン思考でイノベーションが起こせるのなら、IDEOの存在意義はなんなのか?

  • 「イシューから始めよ」という名著がある。あの本で「イシュー」と言っているのはHow might we?と等価。しかるにあの本の半分以上は「いかに良いイシューを定義するか」に費やされている。「デザイン思考」でHow might we?は他の多くの手法の中に埋もれてしまっている。これは「デザイン思考」が何が重要かを認識せずおざなりにしてるから。

  • 「デザイン思考はデザインの素養を持っている人が行えば機能する」なぜかといえば「デザインの素養を持っている」=創造ができる人。そういう人であれば、「デザイン思考」の各種手法を生かし、よいものを創造することができる。

  • 「デザイン思考」の研修教材が1年間改訂されない、というのはあり得ないこと。「作って試して改善」がデザイン思考の要諦の一つのはず。ならば研修教材も行うことに変更されていくべき。なのに多くの「デザイン思考」の教材は繰り返し繰り返し変更もなしに使われている。
    これはそうした研修を提供している人間が「デザイナー」ではなく「デザイン屋」だから。

ではお前は何を提案するのか、と言えばAハート思考である。そして最初に書いたようにアウトプットの質だけみれば、Aハート思考を用いたゴール創生研修のアウトプットは、「デザイン思考」でより長い期間、より多い人数で出したアウトプットよりはるかに優れている。

実はこの問題には「個人主義の日本人」という面白い話があるのだが、それはまた別の機会に。

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