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“学校という異境”へ

学校で心のケアをするということ

学校で心のケアをするというのはどういうことなのだろう?
スクールカウンセラーになって20年。
仕事をしながら、よくこのことを考える。

今の学校では、不登校やいじめ、生徒の自殺など、様々な心の問題がある。
発達にかたよりがある子どもたちへの特別支援もまた重要な課題だ。
虐待的養育やヤングケアラーなど、家庭の影響も大きい。
そして近年では、教員たちの過労やストレスの問題も増えてきている。
学校での「心のケア」の必要性はますます重要視されている。
スクールカウンセラー(SC)制度がスタートして四半世紀。
臨床心理士が学校にいることは定着してきた。

ただ学校での心のケアについて、私はいまだに自問自答を続けている。
それは、学校での子どもたちのしんどさを日々見ているからでもある。
そして臨床心理士が学校で活動することのむずかしさを感じるからだ。

異境の中のカウンセラー

そもそも学校は「子どもを学ばせるための施設」だ。
教育というのは、教師から生徒への知識や価値観の伝達だ。        そこにはときに強制的な上下関係が生まれる。
そして学校は集団学習や集団行動を基本にしている。
そういったことが学校の文化や価値観の土台になっている。

対して臨床心理は「個人の心」を大事にして、その人が自分らしく生きていけるように援助する。
臨床心理士は、その人の自由な思いに触れ、共感的に受け止めて、命令や指示はしない。

ある意味教育と臨床心理は、対照的な価値観で成り立つ世界かもしれない。
学校とカウンセラーに認識のギャップがあるのは当然だと言える。
臨床心理士が学校の中に入って働くことは、異なった価値観との出会いということになる。

NOTEで伝えたいこと

SCの体験は、異文化のコミュニティで試行錯誤して生きることに近いのかもしれない。
SCは「異境としての学校」の中で人々の心と触れ合っていく。
そういう視点から見えてくる学校の姿があると思う。
そこからあらためて問いかけていこうと思う。

学校で心のケアをするというのはどういうことなのだろう?

私が、NOTEで語っていきたいのは、臨床心理士から見た学校の姿だ。
そこにいる人々の心の物語だ。
そして、そこから浮き出てくる「学校での心のケア」のあり方だ。
もちろん「学校という異境」で活動の中で考えたことなので主観的になるかもしれない。
書いている中で気づいたことや、読んでもらった人からのコメントで考えが深まっていくこともたくさんあると思う。

その中で「子どもたちの心の成長のために学校が果たす役割」について、ビジョンのようなものが見つけられるといいなと思っている。

それから、大事なことなのだけど。

こうした仕事の倫理上、実際に関わっている人たちのプライバシーは守らないとならない。だから、ここで書く出来事の内容は、経験を踏まえた上での純粋な創作であることは、あらかじめご理解ください。

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