【短編】拾ったノート
校門に向かう道、僕の耳に、他の生徒の喧噪が響いていた。
「明日から夏休みだし、どっか、行かねえ?」
「めっちゃ熱いよねえ!? てか、あたしんち、クーラー壊れてんだけど? やばくない?」
「そういや、別の高校の女子が失踪した事件ってどうなったんだ?」
喧噪はやがて止み、川沿いを一人で歩く僕は、茂みに赤いノートが落ちているのに気づいた。
(なんだろう?)なにげない気持ちで持ち上げて、最初のページを開くと、
『夏になる前のことでした。いや、春だったかも、いや、冬かもしれない。いや、その前、秋だったかな? いや、もっと、前、夏かもしれない。いや、夏の前かも。いや、いやいやいやいやいやいや、分かんない』
走り書きで書かれたような筆跡の、とりとめのない文章。
(誰かの落書きかな?)
僕はノートを元の場所に戻そうとしたけれど、ふと、次のページの文字が、気になった。
『伝えたいことがあるので、このノートを掻きました、いや、描きました、いや、書きました。ん、カキマシタ?』
(なんだこれ……?)僕はノートを、怪訝な目で見つめた。
なんだか、ちょっと不気味な気がして、ノートを手放そうとした。
そのとき、風が吹いた。ページがめくられた。
『あ、ちょっと待って。待って。待って、放さないで。話したら、駄目、離したら、ダメ? ハナシタラ、はなしたら』
(うお!? なんだ、まるで、僕の行動を読んでいるかのような……)
僕は恐怖を感じて、思わず、「ヒッ!」とノートを手放した。
風が吹いて、けれど、ノートは重力に従って、地面に落ちていく、と思われたが、ふわ~っと光を放ち、僕の手の中に、また、おさまった。
「なんだ、これ!? こええっ!」
僕は手中に収まったノートに向かって、叫んだ。
風も吹いていないのに、ページが勝手にめくられる。
『オチッつい! いや、おつちいて! いや、おつついて!』
「いや、全然、言えてないし!」ノートのページに書かれた文字に、僕は少し、いらだちを感じた。
『そーね、そん-よね。分かる!』と、次のページの走り書きの文字。
(そんーよね?)
『君に会えたのは、空前だけど、……偶然? だけど、つつえたい、つたたたい、つたえたたい、いや、伝えたい、そう、伝えたい、こと、が、わたしは、ありゅ!』
(文章なのに、最後に噛んでる……!)
僕は、落ち着こうと深呼吸をした。
「まあ、でも、こんな現象には、初めてあったけど」僕は、拾ったノートが不器用なメッセージで自分に語りかけてくるという状況を受け入れようと努めた。「一応、聞いとくけど、なにが伝えたいの?」
『実は、トゥルー、わたしは、〇〇高校の女子で、失踪していると、世間ではなっている恥ずぅーッ!』
(最後のとことか、逆に、この文章を書くほうが難しいだろ……)
『あなたは、突然のことで、サドゥン! 信じられないかもしれないけれど、わたし、いや、あたし、いや、拙者、違った、わたしの』
(なんなんだ、この余計な一人称の流れは……)
『私の肉体は、いま、判然、いや、安全なところで、静かに眠っているの! でも、この暑さで、トゥテェーイモゥ、いや、とても、危険なの!』
「夏ですもんね」僕は額の汗をぬぐった。
『そう! 熱中症の危険もある! でも、同じ部屋の妹が、クーラーを直す気がないみたいなの! 私の意識は、いま、別世界に飛んでいるから、どうにもできない!』
「へえ~、でも、いま、このノートに意識が集中しているように見えるけど……?」
『ソーネ! それはそう! でも、いま、こっちの別世界は、大変なの! いま、最終決戦の最中なの!』
「闘っている最中とか?」
『いや、わたしは、だいぶ前に戦力外通告されたから、最初の街で、のんびり過ごしているけど!』
(いや、かなり前に戦線離脱してんな!)
『でも、肉体は、きっと、熱さでやられているはず! 分かんないけど! だから、妹にクーラーを直すように言って欲しいの!』
「いや、ちょっとー……」僕は、面倒で嫌がった。「というか、こっちの世界に戻ってこればいいのでは? ノートを通じて、知らない人にお願いをするのも手間だろうし。そもそも、ノートが拾われるか、分からなかった訳だし」
『ぐぬぬ~っ……、話の分からないすっとこどっこいにノートを拾われたようね……困ったものだわ……』
「いや、心の罵倒が、全部、文字で伝わっちゃってるんだけど!?」
『そうね。でも、妹に、クーラーの件、伝えてくれるわよね?』
「いや、無理ですね。暑いですし。妹さんのことも知りませんし。いきなり、クーラーの話をしても、伝わらないでしょうし」
『でも、家には私がすやすや寝ているから、そのへん、気を使って欲しいだけなの!』
「いや、難しいですね。ごめんなさい」
『なんてことなの……。私に与えられた最大奥義を使って、現実世界と交信したというのに……』
(最大奥義が、現実世界のノートに文字を書くことなんだ……! てか、さっきから、ノートに書く文字は間違えなくなってるし、文字のスピードは上がってるし、上達はええな、この人……)
『まあ、いいわ……。もう、自分で頑張るわ。誰にも期待なんて、しない。そう、私はたった一人で、生きる』
ふわーっとノートから不思議な気配が消えた。
(捨て台詞を吐かれた気がする……)僕は呆然とした。
ただのノートの重さが手のひらに、ひろがっていた。
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校門に向かう道、僕の耳に、他の生徒の喧噪が響いていた。
「夏休み終わっちまったなあ。どこも行ってねえよ」
「めっちゃ熱かったよねえ!? でも、あたしんち、クーラー直してさあ! 快適さがマジやばい!」
「そういや、別の高校の女子が失踪した事件ってどうなったんだ?」
「帰ってきたらしいよ。なんか、もともとの性格もたくましい人だったらしいけど、もっと、たくましい感じに仕上がってるらしいよ。失踪じゃなくて、一人旅でもしてたんじゃない?」
喧噪の中から、夏休みの前日の出来事から、いろいろなことが前に進んだのだなあと、僕は感心した。
(クーラーも直ったみたいだし、ノートの人も現実を生きる気になったみたいだし、良かったなあ)
特に何もしていないけれど、なんだか、充実した夏が過ごせた、気がした。
おしまい
拾ったノートはスキマ時間のための短編集3に収録されている作品です。
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