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”悪魔の庭”と呼んでいる

朝起きて曇り空、気温が低くて喜ぶ。家を出ると外は不愉快な湿気。

二人の同僚と遅めの昼食。地下の薄暗い中華料理屋、他に客はおらず、天井からつるされたテレビの音だけが騒がしい。案内された席からは画面が死角で、映像を見ることはできない。音声のみから察するに、ワイドショーの盗聴特集の番組のようだ。

マンションの大家さんなどが個人的な趣味で、住民が入居する前の部屋に盗聴器を仕掛けるケースもあるみたいですね、と同僚の一人が語る。盗聴が趣味?と、まるでそんなことは理解できない人のような声を出してみるが、こうして他人様がSNSやBlogに投稿したテキストや写真を眺める行為だって、ある意味、他人の生活を勝手に覗いているようなもの。何が違う?いや、本人たちが自分の意志で世に公開しているものを閲覧している訳だから、相手の了承なしに行う盗聴行為と一緒くたにはできない。かといってSNSの他人の記事を閲覧するとき「(投稿者の知らない間に)こっそり覗いている」ような背徳的なスリルが全く皆無であるかと言うと、そうも言い切れない気もする。

もし相手の了承があったとしたら、どうだろう。例えば、文章や写真の代わりに、自身の生活音を自分の意志で世に公開している人たちだっているかもしれない。どんな分野にも需要があれば供給(の可能性)がある。もしかしたら、と思ってスマホでウェブ検索してみると、どうやら電波が通じない。

料理が運ばれてくる。テレビの中では、業者が個人宅を訪問し、部屋に隠された盗聴器を探している。盗聴器探知器が、検知音をけたたましく鳴らす。その金属のような音がテレビ越しに何度も何度も鳴り響くので、やがて三人とも閉口し、押し黙ったまま料理を口にする。

夏目漱石の『吾輩は猫である』をKindleで読みながら帰宅。人間を観察する猫の醒めた視点が面白い。気難し屋で見栄っ張りな主人の言動も、猫の目線から眺めてみると、その姿は滑稽に映る。主人というのはおそらく漱石本人のことらしいので、つまり漱石は、ふだんの自分のあり様を貶めることによって、読者の笑いを誘っているのである。猫の視点を借りて。遠まわしな卑屈芸!それにしても、自分をここまで客観視できる作家の能力が羨ましい。

主人の日記を書く習慣について、猫は次のとおり批評する。最近日記を書き始めた自分にも言われているようで、にやりとする。

人間の心理ほど解し難いものはない。この主人の今の心は怒っているのだか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道の慰安を求めつつあるのか、ちっとも分らない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交りたいのだか、くだらぬ事に肝癪を起しているのか、物外に超然としているのだかさっぱり見当が付かぬ。猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、怒るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一日記などという無用のものは決してつけない。つける必要がないからである。主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかも知れないが、我等猫属に至ると行住坐臥、行屎送尿ことごとく真正の日記であるから、別段そんな面倒な手数をして、己れの真面目を保存するには及ばぬと思う。日記をつけるひまがあるなら椽側に寝ているまでの事さ。

夏目漱石『吾輩は猫である』[Kindle版]青空文庫,Kindleの位置No.507

帰り道、商店街の通りの脇に、背の折れ曲がった老人が一人。彼が突然、通りの誰もが振り向くような大声で、おああああうあ、と唸り始めた。通りを歩く人々は、腫物を避けるようにそそくさと通りすぎる。彼が再び、おああうあああ、と叫ぶと、通りの反対側にある八百屋の奥から同輩ぐらいの老人が店先に出てきて、うおおあああああうああ、と叫び返していた。通りを挟んで、二人は会話していたらしい。その二人の間を、通行人が次々素通りする。二人が何を喋っているのか相変わらず不明だが、意思の疎通が成立するなら、言語なんてなんだってよいのかもしれない。そのまま路地裏に寄り道してみるが、野良猫の姿は見えない。

奥さんが友だちと晩御飯を食べてくるというので、帰宅したあとは部屋を飛び出し、夜の街をひとり自転車で駆け抜ける。隣町の店で鳥天丼を食べて、ふだんTSUTAYAに行く。1,2本映画を借りるつもりだったが、TSUTAYA Premiumにお試し入会すると、最初の1か月間は無料で旧作DVDを本数無制限(同時レンタル数は最大5本まで)でレンタルできるとのこと、せっかくなので入会して5本きっちり借りる。帰り道、自転車で道に迷う。

そのままジムに行く。『植物は〈未来〉を知っている―9つの能力から芽生えるテクノロジー革命』を読む。第5章、植物の「動物を操る能力」が面白い。ぞっとする。

植物とアリの協力関係には、驚くほど徹底されたものもある。一例は、アフリカや南アフリカ原産のアカシア属のさまざまな樹木とアリの関係だ。アカシアはアリを養うために独特の実をつけ、樹木の内部に特別な場所も提供する。アリはそこで生活し、幼虫を育てる。それだけではない。〈中略〉
アカシアはアリに対して、食べ物、宿泊所、さらには花の外で分泌する蜜というフリードリンクも提供する。かわりにアリは、アカシアに害を与える恐れがある動物や植物――それがどんなに攻撃的な相手でも――から宿主を守りぬく。〈中略〉アリがゾウやキリンのような巨大な草食動物に嚙みついて、木に近づくのを思いとどまるまでけっして離そうとしないのも珍しいことではない。

 アリの防衛活動は、どんな大きさの動物をも木から遠ざけるだけにとどまらず、もっと過激だ。アカシアから数メートルの範囲内に生えた植物は、無慈悲にもアリにぼろぼろにされる。そのため、アマゾン川流域の森では、アカシアを中心とした完全な円形の空き地ができている。そこにはどんな植物も生えていない。現地の住民は、その空き地を、説明できない不可思議な現象とみなし、”悪魔の庭”と呼んでいる。

ステファノ・マンクーゾ (著), 久保 耕司 (訳) 『植物は〈未来〉を知っている―9つの能力から芽生えるテクノロジー革命』NHK出版,p.129

一見、古典的な相利共生のように思えるが、近年の研究によると、そうともいいきれない。そこには、植物側の欺瞞と搾取が潜んでいる。

以前からずっと、花外蜜腺から分蜜される蜜にアリが集まるのは、その蜜にふくまれる糖分を求めているのだと考えられてきた。しかし、蜜は糖だけでできているわけではない。ほかのさまざまな化学物質、たとえばアルカロイド、γ‐アミノ酪酸(GABA)のような非タンパク性アミノ酸、タウリン、β‐メラニンなどもふくまれている。こうした物質には、動物の神経系を制御する重要な作用があり、神経の興奮をコントロールして行動を支配する。たとえばGABAは、脊椎動物にとっても、基本的な抑制性の神経伝達物質だ。そのため、アリに花の外の蜜を摂取させることで、体内におけるこの物質の濃度を変え、行動に変化をもたらすことができる。さらに、蜜にふくまれているアルカロイドは、同じアルカロイドの仲間(あるいは類似物質)であるカフェイン、ニコチン、ほかの多くの物質のように、アリの認知能力に影響を及ぼすだけでなく、蜜への依存を引き起こす。〈中略〉

つまりこうだ。狡猾な麻薬密売人のように、アカシアはまずアリを引き寄せ、アルカロイドが豊富な甘い蜜で誘惑し、アリが蜜への依存症に陥ると、次はアリの行動をコントロールし、アリの攻撃性や植物の上を移動する能力を高める。そのすべてが、蜜にふくまれる神経活性物質の量や質を調整するだけでできてしまう。植物にとって、無防備で受動的でありつづけていることは、決して不幸ではない。地面に根づいているからこそ、化学的な手段で動物を操作する能力が身につけられたのだから。

同上,p.131-132

ジムから部屋に戻ると、奥さんが先に帰宅していた。楽天で注文した小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』が届いたようで、嬉しそうにパラパラと頁をめくっている。図書館で一度借りて読み終えた本だが、気に入って購入したらしい。彼女を尻目にTSUTAYAから借りてきたDVDを観ようとするが、夜も遅いので数分で視聴をやめる。奥さんに今夜の友だちとの食事の感想を聞くと、会食中に猫派と犬派で掴み合いのけんかが始まったとかなんとか。そのうち日付が変わった。SmartNewsのトップに並んだ記事。

・さくらももこさん死去 遺作イラストの「ニベア」9月発売(毎日新聞)
・台風21号 勢力強め来週北上か 影響は(tenki.jp)
・総務省が中古端末のSIMロック解除義務付け、来年9月から(ロイター)

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