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醜いものの美しい影

空が曇っていて、雨が降りそう。

奥さんが朝からジム。彼女を部屋で待ちながら、昨日分の日記を書く。そのうち雨が降る。激しく降る。

奥さんが部屋に戻り、一緒に神保町へ。人生2回目。駅前の店で欧風カレーを食べる。カレーを注文すると、やはり別皿でじゃがバターが当たり前のように出てくる。前回、別のカレー屋でも出てきた。なぜ?

食後は、すずらん通りにあるカフェ併設の本屋に立ち寄る。カフェ目的だったが、本屋の棚づくりに個性があって、カフェそっちのけで二人して本屋の棚の間をぶらつく。とある特集棚に、黒田三郎詩集があって、黒田三郎?と、そのどこかで聞いたことのある名前を前にして立ち止まる。詩集を手に取り、頁をめくりながら、ふと思い出す。10年前に読んだ高橋源一郎の『ニッポンの小説―百年の孤独』で、彼の詩が引用されていた。当時、その詩がとても印象に残り、詩集を探そうとしたのだが、全て絶版となっていたので諦めた。今、目の前の本を手に取り、その奥付を見ると、初版1968年とある。再販したのだろうか。目次を見て、おそらくこの題の詩だ、と思った頁をめくり、読むと、まさしく当時読んだ詩だった。

夕焼け

いてはならないところにいるような
こころのやましさ
それは
いつ
どうして
僕のなかに宿ったのか
色あせた夕焼け雲のように
大都会の夕暮の電車の窓ごしに
僕はただ黙して見る
夕焼けた空
昏れ残る梢
灰色の建物の起伏

美しい影
醜いものの美しい影

黒田三郎

ふだん詩をたしなむことのない私が、10年も前、たまたま本の中で見つけた詩人の名前と、詩のタイトル、そして最後の「醜いものの美しい影」という文句、それらを今も憶えていたことが、自分でも不思議だった。

大箱入りの文学全集が棚一面に埋まっている。そんな棚が、たくさん並んでいる。初めて見る壮観。海外文学の棚を見ると、『トーマス・マンの日記』が1918年から1955年分まで、百科事典のように分厚い箱入り本が7冊ほどあった。まさかと思って中を読んでみると、二段組の頁に毎日の出来事が丹念に書き込まれている。〇月×日、友人のKとXXX鉄道の駅で待ち合わせし、といった具合に。1901年、彼が26歳のときに書き上げた処女作『ブッデンブローク家の人々』が私にとって本当に大切な小説なので、その執筆時期の日記はないかと探すが、その時期のものは見当たらない。それでも37年間分。日記を書き続けるのもすごいが、読む方も大変そうだ。興味はあるが、残りの人生の全ての読書時間を捧げる覚悟がないとおそらく読めない。一生かけても、いま読みたいと思う本の全てを読み尽くせない予感がする。人生の短さを痛感するときはこんなときで、なんだか悲しくなる。各社から出版されたバルザックの人間喜劇シリーズの本も充実しており、その数の多さを目のあたりにして、再び似たような感想を抱く。

語源辞典を集めた棚などもあって、『地方別方言語源辞典』なるものを見つけてぱらぱらと眺めると、東京都‐小笠原諸島の方言で「またみるよ」は「さようなら」の意、とある。See you againの直訳が語源らしい。他にも「ぼーい」という言葉があって、これはまんまboy、男の子を指すという。なぜにこれほど英語かぶれかと思いきや、戦後、この島がしばらく米軍に占領されていたことを思い知る。戦前どころか、日本人が住む前の18世紀頃から、ヨーロッパ各国やアメリカが捕鯨や貿易の中継地として上陸していたらしく、元々が国際色豊かな島だったそう。言葉に歴史あり。

歴史あり、といえば、もしかすると神保町のカレー屋にじゃがバターを出す店が多いのも何か歴史があるのかもしれない。当時は貴重だった米の代わり?欧風といえばヨーロッパだが、アイルランドのじゃがいも飢饉とも関係が?そもそもこの地に欧風カレー屋がやたら多いのも気になるところ。

その後は路面の古書店をいくつかのぞき、さくら通りに向かう。曇り空がやけに似合う、うら寂しい通り。ただ往復して、日が暮れる前に街を後にする。帰り、地元のサイゼで夕食。

夜、ジムで『ミメーシス』を読む。目の前の出来事だけを具体的に叙述するホメロスの『オデュッセウス』と、断続的・暗示的に語る『旧約聖書』、この2冊を両対極の典型に置き、ヨーロッパの文学がどのように現実を描写してきたか、その変遷を解き明かす。ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』に至るまでの、およそ3000年の文体美学の歴史。気になる。堅苦しい本かと思いきや結構読み易いので、おそらく最後まで読めるだろう。

帰宅してあとは、ウィラ・キャザー『大司教に死来る』。ローマ法王から派遣されたフランス人のカトリック司教が、十九世紀後半のまだ混沌としていたアメリカ南西部に赴任し、苦労しながら布教活動を続ける。インディアンやメキシコ人など様々な出自を持つ現地の人々が、本当に俗物から聖人まで多種多様で、彼らとの出会いが、南西部の砂漠の荒野の風景とともに語られる。これまでは自然や人間同士の機微の儚さ、美しさの描写が多かったが、その真逆の描写に初めて遭遇する。

ラトゥール神父は彼の人格に嫌悪を感じて、見るのさえ嫌だった。その肥えた顔は腹の立つほど間がぬけていて、やわらかいチーズのようで、うすぎたない、ずるずるした感じだった。口の隅はむっちりしていて、赤ん坊の足首のようなふかい皺ができていた。彼は食事中、一言もものを言わなかったが、まるでふたたび食物をみることがないという恐怖にとりつかれたかのように、貪り食った。 

ウィラ·キャザー(著),須賀敦子(訳)『大司教に死来る』河出書房新社,p.135

やわらかいチーズのようで、が、絶妙。美しさを的確に表現できる人は、醜さもまた同じくらい的確に表現するのだなと思う。訳者の須賀敦子の作品にはあまり見られない文章なので、なお物珍しさがあった。しばらく読んだ後、眠りにつく。

夕食がすんで、乾杯がほされると、殿方が煙草を一服する間、一同にバンジョーを聞かせるためにパブロ少年が呼ばれた。ラトゥール神父はにとって、バンジョーはどうしても異国の楽器だった。ただ野蛮というのではなく、もっとなにかが感じられた。この一風変わった、黄色い少年これを奏でると、針金の糸には、やさしさと憂いがただよった――が、同時に、なにか狂おしげなもの、向こうみずなものがやどっていた。ここにいる人々の誰もが耳にし、なんらかの方法でここまで従(つ)いてきたあの野の叫びだ。葉巻の煙の雲をとおして、斥候(スカウト)と軍人、メキシコ人の牧場主と司祭が、バンジョー弾きの、うなだれた首、こごみこんだ肩や往きつもどりつする黄色い手を、黙ってみつめていた。その手は、時々見えなくなっては、砂塵の一点のように、ただのたうちまわる物体の渦と化するのであった。

ウィラ·キャザー(著),須賀敦子(訳)『大司教に死来る』河出書房新社,p.
166-167

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