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退職する日、手提げ鞄に「大切なこと」を仕舞って夜のオフィス街を歩く

引き継ぎもようやく終わって、今日はひたすらに貸与品の返却処理だった。スマホも、メールデータも、フォルダに保存してきた雑多なファイルも。自分の痕跡を、隅々まで消去していく。会社でやる「消す」作業って、なんだかものすごく、ドキドキする。

この前の休日を利用して揃えた「お世話になりました」の品々たちが、順々に私の手元から離れていく。

朝、出社してまずひとつ。これは同じ部署で働いていた皆に、仕事のお供になるお菓子を。地元で有名なお菓子屋さんで買ったもの。これで息抜きしてください。

次に手提げ鞄の蓋を開けたのは、お昼休憩のとき。後任のYさんから可愛らしいクッキーをもらって、私も準備していたものを渡す。

手紙だとあとの処理に困るから、簡易的な付箋にメッセージを書いた。12月から平日は毎日膝を突き合わせて引き継ぎをしてきたのだか、中々にスパルタだったなと自分でも思う。よくぞ耐えてくれたという安心感が大きい。だから彼女への付箋には、「きっとYさんなら大丈夫」と言葉を添えた。ついでに口頭でもめちゃくちゃ褒めまくった。

そしたらYさんは、泣いていた。

たぶんだけど。鬼教官が褒めたのが嬉しかったのではなくて、これから一人で仕事を回していくことへの不安が、涙として溢れたのだと思う。

お昼休憩が終わったあと、別のビルで働く上司のS課長からチャットが入った。

ごろんさん、今日は出社してますよね?今から向かいます

今日が私の最終出勤日だと知って、駆け込みの案件でも持って来る気だと、この1年間で養った勘が告げている。

今つきました!

扉まで迎えに行ったS課長は、豪華な花束を持って立っていた。

予想だにしていなかったので、素っ頓狂な声が出てしまった。「1年間よく頑張ってくれたので」と言う。花束と一緒に記念撮影をしてもらって、私も準備していたものを渡した。そこで知ったのが、S課長も同郷だということだった。今更だけど、親近感が湧いた。

もう終業まで数時間。その間にもチャットや電話でメッセージをくれる人がいっぱいいた。実際に顔を合わせて会話をしたのは片手で足りる回数だけど。あたたかい会社だなと思った。私は元々は営業職で、今やっている事務仕事にはテンで適正がない。と思っている。細かなチェック作業なんて、苦手分野もいいとこで。正直、事務職で、しかも庶務なんて。そんな誰にでもできる仕事に、やり甲斐なんてものは、なかったと思う。

それでも今日、色々な人たちにいっぱい、あたたかい言葉をかけてもらえて。雑談なんかもして。本当に、本当に、楽しかった。

最後に、同じチームで働いたメンバーたちへそれぞれ一生懸命考えたプレゼントを渡して、手提げ鞄のチャックを締めた。

空になって折り畳んで帰るつもりでいたけど、ずっしりと肩に重い。

前職では体調を崩してそのまま、逃げるように会社を辞めたから。それだけ後悔も沢山あった。

すでに暗くなったオフィス街を歩きながら、就活しなきゃなぁと呑気に考える。

大丈夫、大丈夫。

私なら何でもやれる。

そう思える勇気を、今日だけでもこんなにいっぱい、もらったのだから。

ここで働けて良かったと心から思う。

——本当に、本当に、お世話になりました。



息を吸って、吐きます。