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死別2年半/わたしが回復した方法

残り7

夫と死別して2年半が経った。
きょうは2年半経過した今の心境を綴ってみようと思う。

死別直後は本当にわたしの世界にだけ原爆が堕ちたような、あたり一面が焼け野原になってしまったような、そんな感じだった。

あまりの衝撃でいったい何が起きているのか分からなかった。分からなかったけれど、病院の手続き、警察の手続き、お葬式の手続き、役所での手続き、会社関係、友人関係、お香典返し、保険の請求、家の相続手続き‥‥やるべきことは無限にあって、立ち止まる暇がなかった。目の前のことをこなしていくだけで精一杯だった。

神経が昂ってアドレナリンがドバドバでて、異常にハイテンションになってしまって家族に嗜められたりもした。(いわゆる葬式躁病状態だった)突然号泣したり大笑いしたり、神経がイカれていた。
心臓がバクバクして夜中に飛び起きた。
謎の吹き出物がずっと治らなかった。
比喩じゃなく、身体中が痛かった。

とにかく「負けてはいけない、こどもたちを守るんだ」というそれだけで立っていた。悲劇のヒロインになって倒れるのは簡単だったけど、わたしはそうなりたくなくて栄養満点の食事をしっかりめに食べた。高価な高濃度のビタミンも摂取していた。液体のタンパク質も摂っていた。
でも神経がイカれていたのだろう。おそらくホルモン関係が壊滅状態だった。
わたしは健康的な食事でみるみる太っていった。きちんと眠れていなかったのも大きかったかもしれない。

けっきょく5キロ太って、それはどんなに運動しても食事を気をつけてもまったく痩せなかった。

とにかく「早く元気にならなくては」と常に焦っていた。

もう半年だから!
もう一年だから!!
もう一年半だから!!!
もう二年だから!!!!!


そうやって「早く元気になって早く元通りにならなくては」とずっと焦ってきた2年間だった。

元気になるのに期限なんかないのに、勝手に自分で期限を作って自分を追い込んだ。



死別後2年が経過し、末のむすめが中学校に上がったとき、わたしの焦りはピークに達した。

むすめの中学校入学はわたしの中で最後通牒のような存在になっていて、その日までには当然元気になってふつう通り動けるようになって、お金も稼げるようになっていると勝手に決め込んでいた。

それなのに半年経っても一年経っても一年半経っても二年経っても元気にならない自分にいよいよ絶望した。

2年経って、むすめが中学校に入学するという最後通牒を突きつけられてもなお、わたしは動けなかった。

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うれしくて涙がでるよ