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高齢者最優先辞めてみませんか?

少子高齢化が叫ばれ、子を授かる事を躊躇い、ようやく生まれた子は有無を言わさず前時代から引き継がれた自分とは無関係の重荷を背負わさせる。このような昨今に於いて、生産性を失った、又は生産的活動を放棄した人々を優先的に救済すべきなのだろうか。

コロナ禍となり、高齢者や基礎疾患がある人たちが重症化傾向にあるため保護され、それらを守る事が正義とされ、これからの時代を担う若者は自由を抑制され、生産性を発揮することを悪とされる。


確かに人類は平等、命の尊さに優劣も無いのかも知れない。しかし、人類の反映、未来を見据えたときに、生かすべきは守るべきは優先すべきは誰なのか。


認知症が進行し悪化の一途を辿る事が見えている老人、寝たきりとなり回復の見込みがない重病患者、重大な疾患発症の可能性を多大に秘めている基礎疾患所持者、心身ともに健全で次世代を担う可能性に満ち溢れている若者、常日頃から健康維持管理を怠らず知識も経験も豊富な中年プレーヤー。


新型コロナウィルス感染症に対するワクチンを高齢者に優先的に摂取させ、その間、生産性に満ち溢れた人々の活動を抑制したその先に明るい未来は待っているのだろうか。


たとえ、このコロナ禍を無事乗り切ったとて、その後要介護になってしまう人に対し、生産性を発揮できる人間をそれの介護に充てていては何をしているのか分かったものでは無いのではないか。


現状、各種組織の方針を決定する立場にある人は、概ね高齢者又はその予備軍と言える人達がであるように思われる。そうするとどうしても自分の現状や自分の少し先を案じて決定をなしてしまうのではなかろうか。


確かに自分が大切だろう。それは大半の人が同意見であるし、同等の権威にある人たちも概ね近い年代の人達ばかりなのだから、大抵は自分主体での決定項は周囲からは歓迎されるし、人口比率的にも高齢者が多いのだから数で勝るであろう。


しかし、そうやって上の立場にいる人達の都合での決定に苦しみながら自分たちも大きくなってきたのでは無いだろうか。いつまでこの負の連鎖を続けるのだろうか。


別に神風特攻隊のように名誉の為に犬死してくれと言っているわけではない。現状の高齢者、要介護者最優先から、子供、若者最優先にシフト出来ないのだろうかという事である。


取り急ぎ、延期された東京五輪開催までに新型コロナウィルスワクチン接種は開始されるが、全国民に行き渡るまでには至らないことが見えている現状に於いて、少しでも経済効果を見込みたいのであれば、思い切った決断をすべきなのではないだろうか。


失われた30年、バブル崩壊以後の不景気をけん引し続けていると言われ、デジタルシフトも遅れていると言われ、対巨大テックへの活路も見いだせず、じわりじわりと衰退していくかに思われる現状。


一発逆転やってみるべきなんじゃなかろうか。。。

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