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オーケストラ部の思い出

高校入学前の春休み中、どの部活に入ろうと考えを巡らしていた。

中学は吹奏楽部でトランペットを吹いていた。高校には吹奏楽部はなく、オーケストラ部だけがあった。

入学後すぐに部活見学があり、オーケストラ部の部室に行った。先輩方は優しく接してくれたし、新入生達とも会話していく中で仲良くなれそうな気がした。そして私はオーケストラ部に入った。

進学先は3つの高校が統合されて新設された県内一のマンモス校で(当時は1学年18クラス)、その中でもオーケストラ部は規模が大きい。1ー3年まで揃うと130人近くになる。

同期メンバーは40人超。楽器初心者も経験者もおり、中には全日本吹奏楽コンクールや全国合奏コンクールの全国大会に参加した実力者もいた。オーディションはなかった事もあり、私は希望通りトランペットパートになった。

このパートは3年2人、2年2人、1年3人の構成で、7月の定期演奏会には1年生も参加させて貰えた。ところが3年の先輩が引退したのと同時に、2年の先輩が一気に退部し、更に1年生の同期が1人退部してしまった。あっという間に2人パートになった。

2人だと1つのパートを1人で賄う必要がある。特に3rdや4thがある曲は、本来自分が吹いている1stや2ndの空いている所に、うまく差し込んで乗り切った。また楽譜を転調する事が必要なケースがあり、家に帰って転調した楽譜を作る作業をしていた。ピアノはやっていたが、音階の知識が乏しかったので交響曲になると、1週間は軽くかかる。綱渡り状態は新入生が4人入ってくる時まで続いた。

幸いだったのは同じパートの同期とはしっかり協力し合えたこと、他パートのメンバーにもサポートして貰えた事だ。そのおかげで暗い中学時代と比較して、楽しい日々を過ごすことが出来た。

これは社会人になってから特に感じる事だけど、帰属する場所や人と信頼関係をしっかり結ばないと、それらに対する愛情は生まれない。オケ部はイベントが多く、また練習時間も長い。更に学校周辺の治安の関係でみんなでもまとまって帰るよう指導されていたから、帰る時までずっと一緒だった。その中で色んな人と出会い、いい演奏をするという同じ目的へ進む経験は今の人生の中でも生きている。

途中で退部するメンバーもの残念ながら複数人いたが、私は3年生の7月の定期演奏会をもって引退して受験勉強に入った。その後大学では別の分野のサークルに入った為、トランペットを吹く事はなくなった。

社会人になってから地元の吹奏楽団体に見学に行ったり、一度グループレッスンで再開したりしたが現在は吹いていない。スケジュールの関係で途中で断念したのもあるが、今になって一番大きいと思うのは、「自分にとって大事なのは、みんなで何かに向かっていくこと」が大きかったのだと思う。

決して強い部活ではなかったが、創世期独自のわちゃわちゃ感で突き進んで、結構熱かった。

今は別の趣味ができ、その団体でわちゃわちゃ感を楽しんでいる。今は例の騒動で活動休止を余儀なくされているが、「この場所、この人達が好きだ。」という気持ちは、ちゃんとある。

高校時代のオーケストラ部にいた時のように。



#部活の思い出

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