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住居を通じた伝統との接続(沖縄)

沖縄訪問

 去る3月、きょうさんは観光目的で沖縄を訪問した。伝統的な建築や文化が景色にちりばめられており、観光立県としての完成度の高さもさることながら、近代が重視する「自由」とは逆行する価値観を感じさせられたのだった。
 本稿は、私が沖縄に訪れて感じた住居を通じた伝統や文化との接続について書き捨てていきたい。

琉球古民家

 まずは沖縄の伝統的な建築について紹介しよう。
 中村家住宅は、沖縄県中頭郡北中城村なかがみぐんきたなかぐすくそんにあり、国の重要文化財に指定されている。レンガ色の瓦と漆喰で作られた低い屋根や、座敷に設けられた仏間(沖縄では代々長男が先祖をまつる仏間を引き継ぐらしい)、石灰岩で作られた石垣とヒンプンと中庭などいかにもな沖縄の伝統建築だ。

「しむじょう」のんびり散歩していたら売り切れてしまった

 上写真は、有形文化財に登録された家屋で沖縄そばが楽しめる「しむじょう」
 きょうさん一行は、最寄駅に到着すると上陸後初の市街散策に浮かれて遠回りしてしまったので、到着時(13:00前)には残念ながら売り切れとなってしまっていた。並び列最後尾には同じモノレールに乗っていた二人組がいたのだからその悔しさと言ったら…
 ここもまた、中村家住宅と同じような屋根、石垣、そしてフール(豚の飼育場所兼トイレ)があった。

 那覇市街を散策していると、生け垣や石垣の向こうにこんな屋根がそこかしこに見えているのだった。さらには大体玄関にはシーサーが置いてあるし、突き当りには必ずと言っていいほど石敢當がある。ちなみに石敢當とはキジムナーをはじめとするマジムンが道の突き当りにある家に上がってくることを防ぐための魔除けである。
 このように、伝統的な建築、意匠がいたるところにあり市街と言えどその伝統がいまだに残っていることを感じさせられたのだった。

戦後建築

モノレール市立病院駅前からの景色
RC造建築の多さや白い壁とレンガ色の屋根の組み合わせの多さが目立つ

 沖縄の独特な建築は、古民家やシーサーだけではない。上写真を一見してわかるように沖縄の建築は大多数をRC造(鉄筋コンクリート造)の建築が占めていた。
 総務省から出されている『平成30年住宅・土地統計調査』より「建物の構造(5区分)別住宅数」を見てみた。全住宅に占める鉄筋・鉄骨コンクリート造の割合は全国において33.9%である一方で、沖縄県では93.8%とその差は歴然としている。

 その理由について詳しくは以下を参考にしてほしい。論文ではあるものの、通史的に建築資材が選択されてきた理由が記述されており、戦後沖縄において、伝統的木造建築から現在のRC造への変遷が考察されている。そこでは、

  • 台風常襲地域として堅牢な住居が求められた

  • 歴史的に木材が枯渇しがちだった

  • ドル体制以降セメント産業が注力された等、経済的に有力だったこと

があげられている。

 そして、私はこのコンクリート造の建造物は景観的には沖縄の伝統的な建築と親和性が高いのではとも思うのだった。

中城城址からの景色
左のコンクリの建物の色が石垣の色と似ているかなって

 古民家とならぶ伝統的な建築としてあげられるのが城跡であるが、その両方で石垣に用いられている石材は石灰岩を主としている。個人的にはその色見と、下写真にあるような打ちっぱなしのコンクリートの経年劣化でくすんだ色身がとても似ているように思うのだ。
 だから、初めのうちはそういう経緯もあってRC造、特にうちっぱなしの建築が採用されてきた歴史があるのかと思っていたのだが、どうもそう簡単な話ではないらしいというのはまた別の話である。
 しかし、伝統的な建築とは意を異にしながらここにも沖縄がたどってきた歴史や風土を垣間見ることができるのであった。

沖縄の街並みと脱近代

 このように沖縄の街並みは、伝統的な古民家や現在のコンクリート造の住宅群そしてアメリカンな建造物がごちゃまぜにされたものであった。そしてそのどれもが、沖縄がたどってきた歴史や風土を思わせる装置として機能しているのだから、ただの市街地でさえ目を向けた場所全てが沖縄の世界観の表出であり、県外民の私にとってテーマパークのようであった。
 そして、それは本土との文化的な距離によってより強調されたのだ。本土にだって瓦ぶきの和風な家屋はたくさんあるし、私の住む地域ならもともとかやぶきだっただろう農家はたくさんある。しかしそれに感動しないのはそれが日常と化し、そこから読み取られる風土に飽きているからだ。
 と、観光地としての完成度の高さを褒めそやかしても仕方がない。では、私が気になった近代へのアンチテーゼとはなんだったのかについて少し説明したい。

伝統からの自由

 近代の持つ意味は多岐にわたるだろうが、私がここで強調したいのは近代がもつ「伝統・歴史からの自由」という価値観である。
 自由な職業選択はその代表であると思うが、近代以前、職業はおおむね家系によって決定された所与のものであった。職業にとどまらず社会的な地位も原則として生まれたときには既に与えられたものであった。
 私たちにはそうした生まれつき決められており、変更ができないルーツがある。人種、遺伝的形質、能力は生物的な所与だ。ほかにも養育者がもつ文化・倫理的な傾向、水準も子供にはあらがうことのできない教育的な所与の条件である。出身地、また地域の持つ風土、伝統、信仰は社会的な所与ということができるし、現代においても人々は自立し生活するまでに自身では変更することやあらがうことの困難な条件を与えられて成長していく。私はそうした所与の条件を総じてルーツと呼ぼうと思う。
 しかし、近現代においてルーツは必ずしも守らなければならないものではない。職業選択、居住地の選択、婚姻相手の選択…かなりの部分が自由であるし、そうであることが美徳であるとされている。
 
 住宅という話に戻ろう。本土の住宅街を見渡すとそこには限りなく自由な建築が乱立していることがわかる。北欧風な家、洋風な家、和風な家、アメリカンな家、モダンな家、伝統的な農家の家…
 様々なルーツを持つ家主が、それぞれのルーツを無視したり尊重したりしながら自由に家を建てると、当然ながら沖縄のような統一感は生まれにくいし、住宅内デザインだけでなく住宅外でも共通するルーツはなく、物理的には近くても、その他に共有するものが希薄になっている。では、地域行事を増やせばいいかと言えば今度はルーツでもなんでもない何かに縛られることになり、その理由がよくわからない。

 私は近代のもたらした自由が孤立を招いているのだと再認識したと同時に、既に手放しがたい快適さも得ているという両義性に気がついた。

住居を通じたルーツとの接続

 沖縄の街並みに魅了された理由は、外見的にわかりやすいシンボリックな意匠や様式が多くわかりやすいという点はあげなければならない。しかし、もっと重要なことは、この街にいるとまるで夜になるとキジムナーがいるのではないかと思わされるような街並みであるということだ。この街並みにはまだルーツが残されている。そうした豊かさが私にはうらやましく映ったのだった。
 「となりのトトロ」でぼろ屋敷に引っ越したお父さんのセリフで「お化けが出る家に住みたかった」というものがある。そしてそれは、トトロをはじめ様々な「お化け」が現れたことで本当だったことがわかる。しかし、現代の街並みにそうしたルーツとの接続はあるだろうか。
 私は本土に帰ってきてからというものその寂しさが頭から離れないのである。

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