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私の「なまえ」を、大声で叫んで呼びかけてくれた、あなたへ。

ごりみです。
今回は、ある人に向けたメッセージです。

それは、今でも時々思い出す、
あのとき、私の「なまえ」を、大声で呼びかけてくれた・・・ 

私のこれまでの人生を語るには、どうしても外せない、8年間付き合っていた、元パートナーです。


もう何年も、連絡を取っていませんが、「感謝を伝えられずにいる」もやもやした気持ちがずっと心の隅にあったので、今回この場で、掘り起こしてみました。

今回の話は、完全に自分の中で、昇華させるためだけに書いていますが、「恋愛依存・共依存」に陥るに至る経緯や、同じような境遇にある方に、もしかしたら響くものがあるかも・・・という気持ちで、ここに書き残しています。


***


私には、幼い頃から内部障害をもつ弟がいます。
弟が6歳で病気が見つかったその日から、私は「きょうだい児」でした。

「健康な自分は、お姉ちゃんとしての役目を果たさねば」と、ひとりで勝手に、大きなプレッシャーを背負って生きてきました。


学校生活では、親に迷惑をかけないよう、「優等生」のふりをしました。
弟の世話でいっぱいいっぱいな親を見て、私は頼れる姉であらねば・・・と、自分を縛り付けていたのです。

そのうちに私は、極端な完璧主義に陥り、自己肯定感がどんどん下がっていきました。


この、だだ下がりしていた自己肯定感を、なんとか引き留めてくれていたのが、中学生の頃付き合いはじめた、"彼"でした。

(詳しくまとめた記事はこちら↓)


学校で優等生ぶっていた私は、親や教師など「大人」からの評価に対して、”当然でしょ”と思っていました。
自分が一生懸命作り上げた「良い姉」「優等生」像を、ちゃんと評価してもらわなければという、強すぎるこだわりがありました。

一方で、ただの同級生から、勉強もスポーツもできるおまえはすごいと純粋な気持ちで褒められると、”そんなことはない”と否定したくなりました。
しかし、成績は学年トップ、部活では主将としてリーダーシップを見せ、異性からもモテた私は、みんなの嫉妬の対象でした。(本当に自分で言うことじゃないんですが…友人に「何でわたしあんたに全部勝てないんだろう」と言われたことがありました。)
内心は「別にあんたに褒められたくて私は頑張っているのではないよ」という気持ちでした。


そんな風に、ちょっと心が荒んでいた私でしたが、とにかく彼はいつも、頑張る私をすごいすごいと、褒めてくれました。
そしてそこには、弟が”病気”だから頑張っているお前はえらい、という心情は、一切受けませんでした。


彼にとっては、私の”家族”が病気だなんて、関係なかった。

ただ”私”だけを、ずっと追いかけ、見つめ、愛し続けてくれたのです。


次第に私は、そんな彼の”純粋な気持ち”に、依存するようになります。

大人からの評価は、自分が作り上げた「成果」に対するものでしたが、彼のくれる評価と愛情は、私が懸命に続けている「努力」に対するものでした。


家族のいのちと精神状態が危うい状況で、必死に生きている状態で、どんなに毎日、仮面をかぶって生きていくことに疲れたとしても・・・

「私には彼がいる。いつだって彼が見てくれている。この先ずっと、未来永劫、彼がいれば、私は頑張れる。」本気でそう、思っていました。


***


彼は、元々いじめっ子気質で、誰それ構わず、自分の思い通りにしようとするところがありました。
平気で人の悪口も言うし、容姿や身なりをからかったりして、同級生の間では要注意人物と言われていました。

人を見下すような奴でしたが、勉強もスポーツも完璧な私に対してだけは、本気で嫉妬し、ライバル視していたようです。
彼は、私に負けじと、必死になって勉強をしていました。

私に追いつこうと必死になってる奴がいる。
必死な彼が、身近にいたからこそ、私自身も必死になって、勉強にスポーツに、努力し続けることができたのだと思います。


しかし、「彼がいれば私は頑張れる」という依存的な愛情が、私の視野をだんだんと狭めていきます。


高校生、大学生へと成長するにつれ、私の自己肯定感を高めてくれる彼への依存は増すばかりで、彼は私の「特別な人」であり続けました。

友人たちがどんな恋愛をしているのかも興味が湧かないし、流行の恋愛かけひきドラマも、何か子どもっぽく感じました。
心に決めた「特別な人」がいる自分は、周りに比べて少し「大人」だとすら、思っていました。



彼は必ずわたしのことを認めてくれる。

自分の本当の、ありのままを見ていてくれるのは、彼ひとりだけ。


せっかく近づいてきてくれた人にも、「私は彼氏がいるから」と、盾をつきつけ、自己開示することを避けました。
別の誰かに理解してもらおうなんて、時間の無駄だとと思い、周りに壁を作っていたら、彼以外の理解者は一人もいないという状況を、自ら作っていました。

そうして、結局8年間もの間、無条件に愛してくれる彼の存在に、依存することになりました。


***


彼の存在に頼りきっていたことに気づいたのが、新社会人になってすぐのこと。

会社の研修で偶然隣の席になった人と、「将来のありたい姿」について考えるワークを行い、すっかり意気投合してしまいました。

偶然隣に座った彼は、はじめて会った私に対して、とてもオープンに自分のことを語ってくれました。
離れて暮らす家族のこと、病気のおばあちゃんのこと、そして亡くなった友人のこと・・・。

私は、ずっと、他人に自分を開示してこなかったので、自分をオープンにすることがなかなかできませんでした。
けれど、私に自己開示してくれた彼に対してなら、私も本当の自分を話せるかもしれない・・・


そう思った瞬間。



・・・あれ?この誰かに打ち明けたい感情ってなんだ?・・・



私は、自分の心の奥の奥に、何か隠していた気持ちがあることに気づきます。



それは、


本当は、「私」と同じように、私の「家族」を愛して欲しい


ということ。


彼は「私」を愛してくれているのだから、べつに家族の話をする必要はない、と思い、弟の病気や家族のことを、あまり話してきませんでした。
というよりもむしろ、家族の話をすると彼がいやがるので、私からあえて話をしてこなかったのです。

彼がなぜ、家族の話をするといやがったのか、今になってようやく分かったような気がします。

おそらく、彼が見ていた「努力家」の私と、「家族の悩みを抱える」私との間に、ギャップを感じていたのでしょう。
彼自身、人を見下すような性格があり、逆に自分が尊敬できる人に対しては、極度に期待をしてしまうところがありました。

私というライバルには、尊敬できるライバルでいて欲しかった。だから、私に急に弱みを見せられても、彼の方も受け入れられなかった・・・。


お互いがお互いのコンフォートゾーンにいて、お互いの弱さから逃げることに費やした、8年間という歳月は、あまりにも長かった・・・
けれども、私にとっては、葛藤を抱えながら、もがき苦しみ、その中でも誰かと支え合いながら生きてきた、本当に、かけがえのない時間でした。


***


彼が浪人中の間は、物理的に距離が離れた時期もありましたが、なぜか本当に、以心伝心しているような気がしました。

彼といたことを、少しネガティブに書いてしまいましたが、8年間、私がめげずに頑張ってこれたのは、彼が心から私を信じ、必ずそばにいて、私を認めてくれたからです。

家族との愛着の問題を抱えていた私にとって、心と体が急速に成長するこの思春期に、「自分は一人ではない」と思えていたことは、本当に、有り難かったし、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。


いまでも忘れられないのが・・・


「ごりみ!!!!!!!!!頑張れ!!!!!!!」


***


それは大学4年生の時。
私が、彼より一足先に就職活動を終え、内定をもらっていた頃。

第一希望の企業に就職が決まり、浮き足立っていた私は、何か吹っ切れた思いから、フルマラソンに挑戦しました。

すると、彼も一緒に走ると言いだしました。

ペースが違うので別々に走ることにはなりましたが、ゴールで待っていてくれると。
そこまで一緒にしてくれなくても良いのに・・・と思っていた私は、内心、自分は自分で一人で走るんだ、という気持ちでいました。


フルマラソンは、想像以上に長く辛い道のりで、途中で何度もリタイヤしそうになりましたが、自分で決めたことだからと、一生懸命走りました。


ただ、それも、時間の問題。

後ろから、リタイヤ者を載せるバスが迫って来ました。



焦りと、くじけそうになる気持ちが入り乱れていた、ちょうどそのとき・・・



突然、

大声で私の「なまえ」を呼ぶ声がしたのです。



「頑張れ!!!!!ごりみ!!!!!頑張れ!!!!!!」
(※実際は本名)




ずいぶん先を走っていた彼が、折り返し道でタイミング良くすれ違ったのでした。


私は、突然「なまえ」を呼ばれたことに驚きましたが、今までになくパワーが湧いてきて、最後までわたしは走り抜くんだ!!と、一度折れかけた気持ちをなんとか立て直す事が出来ました。


結果、42.195キロ、5時間半かけて見事完走。


私は、完走したことよりも、あのとき彼が大声で呼びかけてくれたあの声が、耳に焼き付いて、離れなくなっていました。

周りの目も気にせず、自分のなまえを大声で叫んで、応援してくれる存在がいるということに、非常に胸が熱くなる思いがしたのです。


家族からはいつも「お姉ちゃん」と呼ばれ、「なまえ」で呼ばれることに慣れていなかった私は、自己紹介の時に必ず、"名字"の方のあだ名を皆に伝えていました。

私を「なまえ」で呼ぶ人は、彼の他にいなかったのです。


長女として家族を支えてきた私は、与えることで精一杯で、誰かから応援される存在であるという意識を持っていませんでした。

応援されるって、こんなにパワーがもらえるんだ…

その頃は、彼の存在も当たり前になっていましたが、改めて、私の人生を応援してくれる本当に本当に大事な人なんだな、と思いました。


***


しかし、新社会人になって、あの社内研修での出来事が起こります。

新社会人になって、私も浮かれだっていたのかもしれませんが、偶然隣に座った彼に対して、私は完全に好意を持っていました。

私は、8年間付き合った彼のことを、心から信用しているからこそ、自分の気持ちはきちんと伝えなければならない、と思いました。

8年間付き合った彼に対して、「他に好きな人ができた」と伝えることの、この上ない・・・

罪悪感たるや・・・


事実を伝える決心をしたその日は、一日中ずっと胸が苦しく、

このさき私はどうなってしまうのだろうと・・・


心がぐっちゃぐちゃになりました。



それでも、正直に、自分の気持ちを伝えることが出来たのは、嘘をつかずに正直に話した私を、彼ならきっと受け止めてくれると、”信じる”気持ちがあったからです。



人を信じて、そして裏切ること・・・

人を信じて、そして裏切られること・・・



彼には、大変に辛い思いをさせてしまいました。

けれど、私自身が、自分の人生をはじめるためには、必ず越えなければならない壁が、この「共依存」でした。


恋愛依存気質は、その先も少し尾を引きずりましたが、やっと今、脱却しようとしているところです。


家庭の背景から、私はどうしても、人から「役割」を与えられることを求めてしまいます。


しかし、どちらか一方が役割を与え、片方が役割を担うというのは、対等な関係とは言えません。

心から信頼し合える人間関係を結びたいのなら、「役割」という考えをなくして、おのおのが相手を受け止め、そして同時に自分自身も受け止め、信じるということが、大切なのかなと思います。


***


もし、この先、何かのタイミングが訪れたら、

そのときはまた正直に、彼への感謝の気持ちを伝えたいと、思っています。



そして、私は、また明日から、この広い世界で、

すてきな巡り合わせが訪れることを、願っています。

自分を受け入れ、自分で自分を愛することができる今の自分は、誰かに依存していた昔の自分より、何百倍も輝いています✨


ありがとう。今でも涙がこぼれ落ちるほど、感謝でいっぱいです。

応援頂けたら嬉しいです///