見出し画像

【定義化】あなたは仕事ができる人ですか?できない人ですか?

仕事ができる、できないということに対する定義や尺度はないのか。

「あの人は仕事ができる」や「あの人は仕事ができない」など、何か仕事をしている人なら経験したことのある会話。


市場の同年代を競走相手と捉えている転職経験者の私。


誰にでも仕事ができると言われたい。


その昔、某大手企業の書類選考で
「自己顕示欲が強そうなので今回は採用を見送ります」と人事様からコメントを頂いた私。

何としても仕事ができると言われたい。

(職務経歴書で自己顕示していかなどこで出すねん、自己顕示欲。)

でも仕事ができる、できないってどういうこと?
っと疑問に思った。

何か定義はないのか。

そこで、何をしたら仕事ができる、できないと思われるのか考えた。

◎仕事ができる定義

●人事考課の評価での判断


企業に属しているサラリーマンなら、
人事考課での評価が仕事ができる、できないの烙印となっている。

しかし、その評価が高いからといって、とある企業の特定の上司の評価が高いというだけである。

その逆も然り。

つまり、その企業のみに通用する烙印であり、
外に出た時に通用するものではない。

市場という広域な観点から仕事ができる、できないと判断できない。


●個人の会話での判断


個人の会話レベルで出てくる場合も判断がつくものでない。

それは仕事ができるできないというものは、
発言した個人の感性による評価である。

そのため評価をする人が変わると仕事ができる、できないも変わってくる。

私自身の体験としても、この人は仕事ができるなと思っても他人からはそう思われていないことがあった。

それはマネージャーとして接するかプレーヤーとして接するかで、私と他方の評価が変わっていた。

私「あの人、指示したこときっちりやってくれるし、伝えた納期通りにこなしてくれて助かる。仕事できるわー。」

後輩「えっ?あの人全然仕事できないじゃないですか、だってスケジュールは全体把握して作ってくれないし、製造に確認してほしいことも全然確認してくれないし、何をやったら良いか分かんなくなりますもん。」

その会話に出てきた人は私のプロジェクトでは設計者の立場。

後輩のプロジェクトでは主担当として取りまとめ役だったという具合。

全く評価が違う。


●成果での判断


では成果で判断するのはどうか。

成果は1番分かり易い定義、尺度になりそう。
しかし私は成果は仕事ができるという枠の中の
1つの条件でしかないと考える。

例えばあるメンバーが突出して営業の受注件数を上げており、部門の実績が50件であった。

ところがそのメンバーが退職すると、部門の実績が60件になった。

その理由は、突出して件数を上げていたメンバーは社内では他のメンバーに横柄な態度で、フォローしてくれる営業事務にも高圧的だった。

その行いが影響して、周りのメンバーはモチベーション、やる気を失い、積極性に欠け、本来のパフォーマンスが発揮できていなかった。

そこで、突出して成果を出していたメンバーが退職することで、それぞれが本来のパフォーマンスを発揮するようになり、結果として組織は1人の成果に偏ることなく全体で利益を上げるようになった。

適当に作った話だが、このような話のように個人で成果を上げていたとしても、組織として見た場合に成果になるかと言われればそうでないこともある。

仕事ができるという表現には成果もあることが必要条件になるが、それだけでは仕事ができるとは言えない。


●組織という観点


仕事は基本1人ではできない。



つまり、組織という観点を抜きして仕事ができる、できないの判断は下せないのではと思う。

そうすると、組織の観点から…とある企業の人事考課の評価が高いと…と最初の話に戻ってしまう。

なので、結局仕事ができるというのは
「ある組織の中で」仕事ができるという限定的な表現にしかならない。
何度も言うが「仕事ができる」というのは市場では通用しない可能性がある。

組織が変われば仕事ができるという定義も変わってくるからである。



◎仕事ができない定義

一方で仕事ができないという定義はあるだろうか。

これは市場で通じる定義はあると考える。



それは人間関係にある。



仕事ができる、できないの定義付けをするときに、
仕事と組織は分けて考えられない。
仕事は1人でできないからである。

では、仕事と組織で共通することは何か。

それは人間関係だと思う。

●仕事ができる、できないことの方程式


では仕事ができる=人間関係が良好という方程式が成り立つか。

いや、これは=ではない≠である。

ダレた関係の組織の場合、人間関係が良好かもしれないが、成果が出ない。
成果なくして評価が高いということも十分あり得る。


では仕事ができない=人間関係が険悪という方程式が成り立つか。

これは=で正しい。

成果があろうがなかろうが、人間関係を険悪にすることは、それだけで仕事ができないと言い切っていい。

険悪ということは仕事、組織の運営を阻害、メンバーのパフォーマンスを低下させているという事実は確定する。

これはもう仕事ができない。

では「険悪にする=仕事ができない」として、
その具体的な定義は何だろうか。


私は怒りがその定義になると思う。


どういうことかと言うと、
その個人が発する怒りと受け取る怒りがその定義になると思っている。


発する怒りは
 ◎怒りを発する大きさがデカい
 ◎怒りを発する回数が多い

どちらかに該当すれば仕事ができない。


受け取る怒りは
 ◎怒りを向けられる種類(人数)が多い
これに該当すれば仕事ができない。


発する怒りは他人でも認知可能なものという条件はある。密かに怒っている状態はこの条件にない。

受け取る怒りは本人も認知できない秘めた怒りを含める。


そうすると、自分以外の他人が仕事ができないことは認知できるが、自分が仕事できないことに関しては、発する怒りを抑えたとしても、他人から受け取る怒りを認知できない。

そのため自分が仕事できないかどうか気付く術がない。

(だから、仕事ができないくせに態度が大きい人がいる)

仕事ができないことに関して、これでも定性的なので、例えば何回怒ったとか、何人から怒りを受け取ってるとか定量的にしないと明確な定義とならないかもしれない。

しかし、大まかにはこの3つの定義で間違いないと思う。




◎自分の話

自分を顧みて、以前の勤め先では常に怒ってた気がします。

「おっさんらちゃんと仕事しろ」っていうことが根本にあって、少し怒りながらガンガン直接発信していました。

退職する時の送別会で年配の方にちょっと説教をされた感じがあります。

「人の立場に立ってものを言った方が良い」
って言われたけど、当時は「オレより報酬貰っててオレより仕事してへんヤツに仕事しろ言うて何が悪いねん。」と思っていました。
(30代前半のことです)

退職したときは何となく私がいない方が
年配の方は快適に仕事できるのだろうなと思っていました。

今思うと本当にそうだと思います。

まぁ仕事の成果は別と思いますが(言い訳)

当時は発する怒りと受け取る怒り、
両方認知可能でした。。

怒りに関して、そんな発するものではないと何となく思っていましたが、この記事を書いていて改めてそういう態度も厳禁だと思いました。

でも今週も心許した人に愚痴ってる?
密かに怒っているような気がします。

何か…他人の悪口はもう無理って言うぐらい辞めれません。でもこれ仕事できないことになるんでしょうか。
悪口も?

気になるのは管理職になったら誰に悪口を言ったら良いのでしょう。

(え?悪口言い続けたらずっと仕事できないヤツになる?)

アンガーマネジメントなどと最近よく聞きますが、
あれは個人宛のものと思います。


組織としてのアンガーマネジメント…
ではなく、アンガーケアが必要だと感じます。



仕事ができないというメンバーを減らすために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?