見出し画像

【掌編小説】生きる絵

 先生は一枚の絵画を両手で握り凝視した。そこには画家の姿が繊細に描かれていた。今さっき、先生自ら描き上げたものだ。
 握力は次第に強まっていき、画用紙の両端部分はすっかりしわだらけになってしまっていた。
 先生は一度絵を描き上げた後、納得のいかない作品は気の済むまでビリビリに破く。おそらく先生は、この絵画を残すか破るかに苦慮している最中なのだろう。私からみれば、画の中の画家が眼前に実在しているような素晴らしい作品だと思うが。
 先生はしばらくの葛藤の末 、決心した。
「悩むような絵なら凡作に過ぎん」
 瞬間、絵画を真っ二つに破いた。こうなっては、 先生の手は止まらない。破きに破き、見る見るうちに傑作はただの紙くずになってしまった。
 私は絵画のその無惨な姿に、直感をこぼしてしまった。
「もったいない ......」
「何だと」
 先生は声を荒げ、私を鋭く睨み付けた。しかし私は絵画への惜しさが抑えられず、先生に要らぬ発言を続けてし てしまった。
「お言葉ではございますが先生、私には今の絵がまるで生きているように見えました。それを凡作だなどと言って破ってしまわれるのは、あまりにも残酷ではないかと」
 先生は露骨に激昂した表情で絵画の紙切れを掴み、私に近づいてきた。それを私の顔面に投げつけ、唾飛ばしながら勢いよく私を怒鳴る。
「黙れ。絵が生きているように見えたのは、実際に用紙の中の画家が動いているからだろ。この紙くずを見て残酷に感じたのも絵が動画だからだ、動画でなければそんな感情は生まれなかったはずだ。弟子入して三年も経つというのに、絵と動画の違いもわからんのか、馬鹿タレ」
「申し訳ございません」
 先生の言葉は最もだ。自らの言動の軽率さが身に沁みる。その通り、先生の絵は動画だ。ただただ謝罪の言葉しか思い浮かばなかった。
 表情が少し緩んだと思うと、先生はその場に腰を下ろしあぐらを組んだ。長いため息を1つつき、打って変わって悲観のトーンで愚痴をこぼし始める。
「俺ははじめから『生きる絵』なぞには反対していたのだ。静止画には静止画しか出せない味というものがある。なにより、若者の理解力が衰える。後に静止画への興味など……」
 愚痴は30分程続いた。これならばまだ怒鳴られていたほうがマシだった。 あまりにもぐだぐだと長い泣き言にストレスを感じつつも、先生の気分を害さぬよう、私は意味のわからない言葉にもとりあえず相槌を打つなどしてその場を凌いだ。
 先生がここまで芸術に対してヒステリックになってしまったのも、数年前に『生きる絵』なるものが発明されてからである。
 “より芸術的に!より生き生きと!”をコンセプト に造られたこの動画用紙、通称『生きる絵』は、その紙に絵を描くと紙の中で静止画が動画になるという画期的な画用紙である。それも一定の動きを機械的に繰り返す、のではなく、まるで絵が自我を持ったかのように自由気ままな動きをするため、見ている方は一向に飽きない。
 発明当時、静止画を生業とする芸術家達を中心に反対運動がなされたが、その熱は虚しく空振りに終わり、市場に多く売り出された。
 美術授業をしている全学校では、使用する紙を生きる絵に一斉転換。生きる絵の流通で、民衆の静止画 への興味は薄れていった。 
 販売が始まって半年も経たない内に多くの芸術家は、静止画では金にならんと動画絵に方向転換した。うちの先生も類に漏れず、静止画だけでは食っていけないと、泣く泣く生きる絵を描き始めた、というわけであった。
 しかしながら、私が先生に弟子入りしたのは、先生の静止画に魅せられたからなのであって……よそう。 弟子入りのいきさつを話すといつも長くなる。ただこれだけは言いたい。私が惚れ込んだのは 先生の静止画であって動画ではない。先生の生きる絵は いつも美しいが、初めて先生の静止画を見たときの衝撃には程遠く思える。生きる絵は先生のもつ才能を半減させてしまう。つまり私も先生と同じく、生きる絵には反対なのだ。
 先生は愚痴をひとしきりこぼし終えた後、先ほどより長いため息つきながら重い腰を上げ、新規の生きる絵が積み重ねてある机へとぼとぼと向かった。
 そして絵を一枚取り、キャンバス前の椅子にどかっと座る。
「とは言え、生きる絵を描かねば食えん世の中なのだ。文句が金になるわけでもあるまい。おい、茶を入れてくれ」
  私ははいと答え、部屋を出て台所へ向かった。
 この動作だけは先生に弟子入りしてから何千回と やっているので、手際は勿論、美味い茶の入れ方ま で会得してしまった。絵の腕は上達しないのに。
 私は茶を盆に載せた時、あるものを見つけた。盆の横に置いてあったのは抗うつ薬だった。親戚が飲んでいた関係で、それがかなり作用の強いものだと知っていた。
  先生は私が思う何倍も悩んでいたのだ。天才ゆえに悩みが多いため、 気持ちを定められない。闘っているのだ。
 お願いだから薬の用途が正常なものであってほしい。私は心底願い台所を出た。
「お茶をお持ち致しました」
「 そこに置いてくれ」
 先生があごで示した机の上に茶を置く。先生は先ほどの体勢から全く変わらず、何かを見つめていた。いや、何か見つめていたのではなく、何かを考えていたのだ。
 しばらくして、先生は茶を一口含み、鉛筆を執った。直ちに鉛筆は先生の手により生きる絵の上で踊り始める。
 たかだか下書きではあるが、先生の手つきは職人技とも言える見事なものだった。先生曰く、生きる絵は下書きの時点から勝手に動き出すので、線が上手く定まらないそうだ。先生は下書きである数百本の線がゴキブリのように右から左へと動き回るのをみて、今日3回目の長いため息をついた。
 ふと、私は突然この空間に張り詰めた緊張感を察した。それは先生が自分の絵を見て苦悩している時に感じるものと酷似していた。 
 全身を大蛇に巻きつかれ、いつ食われるかわからない、気の抜けない状熊。それが今感じる何かに一番近い例えである。
 しかし先生は黙々と下書きを描き続けている。この空気は先生の発す緊迫ではないらしい。
 異様な空気を感じ始めて五分ほど経過したころ、天井の両端に妙なものが見えた。
 そこに“しわ”ができていた。壊れているのとは違う、カビとも違う。“しわ”ができているのだ。それも天井の両端に。
 普通に考えればあり得ないことだ。きっと私は幻覚を見ているのだ。この空間に圧倒されて、気がおかしくなっているのだろう。
 ほら、目まいまでしてきた……いや、違う、空間が揺れているのだ。
 地震だ。かなり強い、まともに立っていられない。先生は椅子ごと横に倒れこみ、頭こそ打たなかったものの、足を変にひねってしまったらしく、揺れも加わり全く動ける状態ではなくなってしまった。
「先生」
 先生の身が危ういと感じ咄嗟に叫んだものの、この揺れでは立つことすらできない。しかし、私は這いつくばってでも先生を助けねばならないのだ。先生がいなくなれば、芸術界の静止画はどうなる。私の理想はどうなる。あなたの目指す芸術はどうなる。
 私は常に思っていた。先生のような人間が芸術界に革新を起こすと。 先生の描く絵は全て素晴らしく欠点が見えない。私のような未熟者の感性で恐縮だ が、先生の描く絵は生きている。生きる絵だからではない。描く線一本一本が繊細で、それを紡いで絵を完成させるまでの全てはまさに物語。そして、 決まって私はクライマックスで先生の描く物語に泣 かされる。その涙は完成への歓喜の涙であり、終幕への悲嘆の涙であり、そして先生がいかに天才かを思い知らされる感動の涙だ。
 弟子になって改めて感じた。私にとって先生は紛れもない理想なのだ。
 私は先生の元へ這いつくばりながら必死で進んでいる間「先生、先生、先生・・・・・・」と、無意識に連呼していた。今、私の頭の中には先生に生きてほしいという願いしかなかった。
 あと少し、あと少しで手を伸ばせば先生に届く位置まで行ける。そう思った矢先、私と先生の間に地割れが起きた。最悪だ。私は眼前にいる理想さえも守れはしないのか。悔しさは胸から身体全身へと込み上げ、涙となり頬を伝い、また頬を伝い、止まらない涙は絶望で何も言えない私の言葉の代わりに、ぽたぽたと床に落ち音をたてた。
 ……違和感を覚えた。 なぜ地割れなのに天井まで割れているのだ。違う、これは地割れではない。空間自体が裂ているのだ。 気が付く と先ほど見たしわが、天井の両端だけだけ ているように私の目には映った。

ったものが床までに広がっている。 それに気付いてから一瞬だった。しわはより一層クシャっとなり、一瞬で空間は四分五裂になってしまった。
 その一瞬で先生は言った。目に涙を溜めながら。
「すごいな…… 本当に生きていたのか」
 それは先生の 言った最初で最後の“生きる絵”に対する賛辞だった。
 先生の涙の理由は何だったのだろうか。ここまで優秀な道具には、静止画では到底勝てないと確信した悔しさか。今から迎えるであろう確実な死への恐怖か。その時はまだわからなかった。
 私たちは生きる絵の中の人間であり、今誰かに私たちが破られているという信じ得ない現実を実感 している。しかし、驚きは私も先生も薄かった。まるで前からわかり切っていたかのような心情だった。
  先生は目に溜まった涙をこぼしながら、震えた声でこぼした。
「 俺は一流の芸術家にもなれなければ、一流の芸術作品にもなれないのか」
 私は先生の涙の理由を聞いて、また泣いた。
 空間の亀裂が私たちの腹の上を走った。

●○●○●○●○●○

【罪状】公務執行妨害

生きる絵の反対運動時、デモ中に警官と揉み合いになったため。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?