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その人は、なぜ読まずにコメントをするのか

 医学書院のウエブ・マガジン「かんかん!」[http://www.igs-kankan.com/]と朝日新聞社のウエブ・マガジン「論座」[https://webronza.asahi.com/]に、ひと月に一回のペースで記事を書かせてもらっています。と言っても、わたしは研究者です。ライターではありません。ですのであまり取材は得意ではありません。取材よりも自分のまわりで起こった医療と教育の事実を素材に構想を練り、文献から調べて間違いがないようだったら記事にするというスタイルです。

 今は調べやすい学術情報の検索サイトがあるので、これを利用すれば簡単に論文を読むことができます。無料です。これとは別に、政府や省庁の公表物も利用できます。これで、まあ、事実関係に大きな間違いはないと思うのですが、いかんせん医療も教育も専門家ではありません。ですから、ひとつずつ、念には念を入れて調べないと不安です――論文を読むこと自体は、もともと仕事の一部ですので大丈夫なのです。

 そうして書いていたのですが、わたしには「奇妙」に思えることが起こりました。「かんかん!」はともかく、「論座」にはコメントを書く欄があります。本来、そこは熱心な読者が感想を書き込むためにあると思うのですが、ある時、読んだ形跡がない書き込みがあることに気付きました。どうして「読んだ形跡がない」などと言うのかというと、読んでいれば、そんなことは書いていないとすぐに分かるのに、わたしが書いていないことを、さも書いてあるかのようにあげつらっているのです。しかも匿名です。

 読んだ時は戸惑いが先にありました。続いて感じたのは、もやもやとした不快感です。

 う~ん。これは、執筆者(わたし)を不愉快な気分にさせるために、わざと書いているのだろうか。それにしても、なぜ? わたしのような者を怒らしてみてもしかたがないだろうに。

 よくよく執筆した文章を振り返ってみると、まったくコメントがない時と、山のようにコメントが付く時があります。肯定的なコメントが6割、否定的なコメントが4割といったところでしょうか。あるいは肯定的なコメントは、もう少し多いかもしれません。これまた、それにしても、なぜ?

 調べてみると、わたし以外のいろんな文章が同じような目に合っていることがわかりました。すると俄然、人類学的な、あるいは社会学的な興味が湧いてきました。こんな意味のない(おやりになっている当人にとっては、おそらく意味のある)悪戯をするのは、なぜなんでしょう(この文章にも、同じような悪戯のコメントが付いたら、実ににおもしろい)。

 このことを考えてみるためには、何はともあれ先行研究です。今までどんな研究があったかは、まず最初に知らなければなりません。そこでわたしは:

高史明・雨宮有里・杉森伸吉(2015)大学生におけるインターネット利用と右傾化――イデオロギーと在日コリアンへの偏見――. 東京学芸大学紀要 総合教育科学系Ⅰ, 66: 190–210[https://core.ac.uk/download/pdf/33468002.pdf

辻大介(2017)計量調査から見る 「ネット右翼」 のプロファイル――2007 年/2014 年ウェブ調査の分析結果をもとに――. 年報人間科学, 38: 211–224[https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/60471/ahs38_211.pdf

鈴木大介(2023)『ネット右翼になった父』講談社現代新書[ISBN: 978-4-06-530889-9]

の3点を読んでみました。

 文献によれば、この悪戯をする人たちを「ネット右翼」と呼んでいて、標的になるのは「嫌中嫌韓(韓国と中華人民共和国が嫌い)の中国や韓国・朝鮮」と「朝日新聞」だそうです。まさに「論座」は朝日新聞社の発行です。ただし「ネット右翼」には保守の思想、つまり「人の行いは簡単に変わるものではない。今の困難は、昔も似たような困難にぶつかったけれども、首尾良く解決できた。そのことと同じだから、本当に困ったら昔の解決策を思い出したらいい」というような考えがなく、当人がどのように認識しているかは別にして、ゲーム感覚でやっている側面が強いのだそうです。

 上の3つの文献は、いずれも「在日コリアン」が標的にされています。『ネット右翼になった父』では、お父さんが損保業界に勤めるサラリーマンだったそうですが、そこで在日朝鮮人の不正請求に付き合わされたことが韓国嫌いになった原因のひとつではないかと書いてありました(p. 160)。鈴木さんは東京の人ですから、このエピソードも東京の出来事ということになります。

 高ほか(2015)は関東の大学生から授業中に対面で得たアンケートの分析ですが、辻(2017)はインターネットを利用したアンケートです。高ほか(2015)のアンケートは大学生からとったのですから、当然、回答者の構成には偏りがあります。辻(2017)のアンケートは回答者の人数は多いのですが、本当に真剣に回答してくれたのかと聞かれるとチョット心配です。どちらもそれぞれに問題を孕んでいそうです。しかし、アンケートの分析とは、元来そうしたものです。その問題を合理的にいかに回避してみせるかが研究者の腕の見せ所です。まずは高ほか(2015)や辻(2017)に書いてあることを信じて、話を先を進めます。

    *

 まず高ほか(2015)の結果です。一般にインターネットをよく利用するほどレイシズム(人種的、民族的差別)の傾向が強くなるそうです。インターネットの使いすぎには注意をしないといけません。その一方で、レイシズムの対象が好きか嫌いかといった指標では影響がなかったそうです。レイシズムは感情に左右されているのではなく、「信念(belief)」のレベルで信じ込んでいるということになります。またインターネットをよく利用するほど「社会支配傾向」、つまり「自分の属している人種や民族は優れている」という「信念」を、理由もなく信じ込んでいるそうです。

「社会支配指向の持ち主は身体的魅力の無い人々や精神障害者,太った人,移民,主婦,無職者など社会的序列で下位に置かれやすい集団に対して偏見を抱きやすく,したがってインターネット利用者は在日コリアン以外にもそうした様々な集団に対して否定的な態度を抱きやすい可能性がある」

(高ほか, 2015、p. 205、左列)

 高ほか(2015)には書いてありませんでしたが、「身体的魅力の無い人々」というのは身体障害者のことでしょうか。

「社会支配指向は現地文化に同化しようとしない移民よりも同化しようとする移民への否定的な態度をよりよく予測する。(中略)これらの人々が日本文化を受容しようとするほど,それは日本人を上位に置く社会成層への挑戦と受け止められ,インターネット“世論”(青年から中年:三谷)の反発を招く可能性がある。また,社会的格差を維持し,拡大するような政策は社会支配指向の持ち主には支持されやすく,インターネット利用者に支持されやすいかもしれない」

(高ほか, 2015、p. 205、右列)

 ここに書かれていることは、日本文化に馴染んだ「異人種」や「異民族」の方が差別を受けやすいということです。つまり、在日コリアンやその他の在日外国人でも、二世、三世、あるいは四世といった、日本人と区別できない「外国人」の方が差別されやすいのです。日本は帰化が難しい現状がありますが、これでは日本文化に馴染んだ「異人種」や「異民族」は、たまったものではありません。

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 次に辻(2017)です。辻(2017)は「ネット右翼」として活動している人をネット・ユーザーの1%ほどと推定していますが、「ネット右翼」だけではなく、「中韓への否定的態度と保守的政治志向を共有するネットユーザ―を『ネット右翼シンパ』層」と定義して、その推定値を2.7%(2007)と7.4%(2014)としています。「ネット右翼シンパ」層は、確実に拡大しています。

 インターネットをよく使う層からの回答という保留が付きますが、「ネット右翼」層は男性が多く、世帯年収が低いという特徴があるそうです。ただし、しばしば語られるような若年・低学歴・独身者といった特徴は認められなかったそうです。

 Twitter の利用が活発で「2ちゃんねる」や「YouTube」をよく見るが、書き込みはそれほどでもありませんでした。産経ニュースやYOMIURI_ONLINE、Yahoo ニュースや時事ドットコム(時事通信)などの「保守的・右派的色彩の強いサイト」を選んで見ていると分かったそうです。

 また「直接会ったことのない人を、ネット上で非難したり批判したりした」ことのある人が14.0%、「直接会ったことのない人から、ネット上で非難や批判を受けた」ことのある人は20.9%と、インターネットをしていてトラブルに合う可能性が高いと指摘しています。トラブルとは非難や批判で傷付いたり、傷付けたりなのですが、それでも「ネット右翼」層は、「ネットに人を傷つけるような情報が載るのはしかたないこと」で「ネットで叩かれる側にも、叩かれるだけの理由がある」と考えている人が多いそうです。また「ネット上で過激な書きこみや発言があっても、たいてい冗談半分で、本気ではない」と捉えているそうなので、人を傷付けても、あまり大したこととは考えないのです。

 そのような「ネット右翼」層ですが、辻大介さんは「ネットでは対面状況よりも自己抑制せずに行動しがちで、中毒状況にも陥りやすい」と警告しています。また日本社会全体に対して「排外的態度の強まりは、『ネット右翼』的な排外主義活動・行動に積極的にコミットしないまでも、それを日本社会全体として黙認してしまうことにつながる危険性があろう」と警告しています。

「排外的態度が強いほどヘイトスピーチ規制には消極的であり(論文では統計的にきわめて強い有意性が見られました:三谷)、今後も日本社会における排外的態度が強まり続ければ、2016年にようやく成立したヘイトスピーチ解消法も有名無実化するかもしれない」

(辻, 2017, p. 219)

と心配しているのです。

    *

 最後に鈴木大介さんの『ネット右翼になった父』です。

 実は鈴木さんのお名前は、以前から知っていました。医学書館から鈴木さんが書かれた『「脳コワさん」支援ガイド』という本が送られて来て、よかったら筆者とお会いになりませんかと誘われたことがあったのです。この時は、わたしがグズグズしていて裁ち切れになりましたが、お名前はよく憶えていました。

 鈴木(2023)は関東のお住まいの日本人に典型的なルポルタージュではないかと思いました。題名からはお父さんの欠点ばかりが記述されているのかと心配される方もいるでしょうが、欠点をこらえて調べていく内にさまざまな長所も発見され、やがて等身大のお父さんの実像に辿り着くという本でした。これを読んで、わたしが最初に思い出したのは、朴沙羅さんの「〈事実〉をつくる――吹田事件と言説の政治」(「ソシオロジ」社会学研究会, 54: 89–104, 2010)[https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/54/3/54_89/_pdf]という社会学の論文でした。朴沙羅さんは昔のことを知るご家族に根掘り葉掘り聞いて、この論文をまとめたのです。そういう意味では、ルポルタージュという仕事は社会学に近いのではないかとさえ思いました。

 そして2点、わたしには解せないところがありました。

 ひとつ目は「『三国人』はとても日常的な言葉だった」(pp. 212–124)や「『共犯』ではなかった父の友だち」(pp. 157–162)に描いてある在日コリアン像です。朝鮮部落の貧しい生活や朝鮮学校の近寄りがたさが描写され、損保業界で働いていたお父さんをだまして不正受給しようとする朝鮮人像が語られます。それは事実だったのでしょうが、その一方で、東京と言えば日本の大学に留学していた韓国・朝鮮人学生がかなりいたはずです。その学生たちの姿は、お父さんの目に入らなかったのでしょうか。

 わたしの理解では、損保業界という職業は、顧客の私生活にまでタッチする、そして、けっして知り得た情報を口外してはいけない職業です。そのお父さんがあるコミュニティの一面だけしか見ていないということはあるのでしょうか。

 そして二つ目です。お父さんは「社会的弱者にリアルで会ったことがない」(pp. 130–134)というのは本当でしょうか。わたしは、東京という大都会に住んでいれば、昔からさまざまな意味で社会的弱者に出会う機会はあったと思うのです。それでも社会的弱者に出会ったことがないというのが事実ならば、お父さんは、どんなサラリーマンだったのでしょう。わたしには信じられません。

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 わたしは大阪で育ちました。友だちには在日コリアンばかりでなく、被差別部落の子や沖縄の子、知的障害の子がいました。身体障害の子はいなかったと思いますが、病弱な子は何人かいました。堀川に渡した木の上に建てた水上の家さえありました。ただ、そこから通って来る子はいませんでした。

 地下鉄の駅の前には回数券をバラして売り、僅かなお金を得るおばさんが座っていました。地面に埋まった銅線を掘り出せば、それを買ってくれるクズ屋のお婆さんもいました。銅線といっても、小さな子どもの掘り出したものですから価値はないに等しいのですが、お婆さんは小柄な身体をもっと小さく曲げて、ニコニコ笑いながら子どもの手に5円玉を握らせてくれました。

 元ばくち打ちのお爺さんは、気が弱く生活するのが大変でした。歩くのにも苦労していました。それでも夕方の散歩は欠かしたことがありませんでした。

 入れ墨を入れる彫り師のお爺さんもいました。小さなアパートの片隅でひっそりと暮らしていて、その部屋に出入りする人を見かけることはありませんでした。

 別のアパートに親子3人で暮らす一家がいました。わたしの出た中学校の3年生になった娘さんとご両親です。ある日、その一家は、突然、出奔してしまいました。後で聞くと返せないほどの借金を抱えていたそうです。娘さんは、後、数か月で卒業という時でした。

 「社会的弱者にリアルで会ったことがない」人などいないと思うのです。また本当の意味で社会的弱者に共感できない人も珍しいのではないでしょうか。そういう「普通の人」が、ご家族の前で、どうして「ネット右翼」としての発言を繰り返したのか。掘り下げれば、さらに別の要素が出てくるのかもしれません。

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 「嫌韓嫌中」は一種のはやりのように思います。最近でしたら「嫌ロシア」というのもありそうですし、海外経験のある人でしたら「嫌白人」というのもありそうです――鈴木さんの本の中にもありました。「右翼」っぽい言動も今のはやりではないでしょうか。明治初期まで、あるいは江戸までは、今、言われている「右翼」っぽい言動を声高に言い募ることはなかったように思います。鈴木さんも『ネット右翼になった父』の中でおっしゃっていましたが、「右翼」っぽい言動はいずれも定型が決まっています。それを鈴木さんはお父さんが老人になったためだと書いておられましたが、「ネット右翼」の年齢構成は、高ほか(2015)にせよ辻(2017)にせよ、分析の結果、もっと若いのです。

 インターネット環境というものが「ネット右翼」や「ネット右翼シンパ」の言動を、予期せず煽っているとは考えられないでしょうか。そして匿名でコメントすることを許すシステムの中で、まさにインターネット中毒になり、その人の生身の実像とはかけ離れた言説を垂れ流すようになる。

 そして自分たち以外の人たちを「外集団」と目する排外思想です。意味のない排外思想は、10年先、20年先に、必ず遺恨を残します。これはゲーム感覚でやることではありません。


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