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裁判の傍聴に行ってきた話(1)

2023年9月1日金曜日
静岡地方裁判所に傍聴に行ってきた。

朝8時30分に裁判所の窓口はオープンする。
ネットで調べる限りはそのようだったので、8時30分を少し過ぎてから総務課広報に電話をかけてみた。
「静岡地方裁判所広報です。」女性の声が聞こえてきた。その後ろでは男性職員の声も聞こえる。どうやら朝一番から電話が結構掛かってきているらしい。
初めての経験なので少しドキドキしながら「今日傍聴出来る裁判有りますか?」と聞いてみた。
「少々お待ちください。」と保留音が流れる。問答無用の放置プレイだ。ほどなくして回答があった。
「刑事事件で宜しいですか?」
そうか、裁判には刑事と民事があるのか。テレビドラマで知ってるくらいの知識しかないので、初めてはどちらを傍聴したら良いのかわからない。答えあぐねていると広報の彼女は言葉を続けた。
「本日の刑事事件は次の通りです。10時30分より傷害、11時より詐欺・窃盗・住居侵入、15時30分より窃盗です。以上が本日の刑事裁判です。民事はどうしますか?」
なんでそこでいちいち聞いてくるのだろうと思うそばから、きっと民事事件は人気が無いのだろうなと思いながらも僕は答えた。
「全部教えて下さい。」
すると広報の彼女は民事事件の予定を教えてくれた。
「10時30分より・・・」
全部で10件以上の裁判スケジュールを一気に読み上げられて僕は引きつりながらも頑張って答えた。
「ありがとうございます。」
最後に広報の彼女はこう言った。
「それではよろしくおねがいします。」
一体何をお願いされたのかわからない。もちろん言った彼女はただのルーティンで言っているだけなのだが、傍聴人とは裁判所にとってどのようなポジションに置かれているのか興味が湧いた。

 電車に乗って静岡駅に到着し、静岡地方裁判所に向かって歩きだした。場所は知っている。何度もなんども裁判所の前を行ったり来たりもしている。しかし、一度も裁判所の中に入った事は無かった。むしろ、以前は入りたいと思ったことも無かった。
 しかし、インターネットでテキストベースのホームページが流行っていた頃に裁判傍聴記的なものに触れたことがある。めちゃくちゃ面白そうだと、当時の僕は思った。20歳代だったと思う。しかし、実際に裁判所に行くことは無かった。既に何処かの誰かが素晴らしい体験記事を書いていて、それを読むだけで満足していた部分もあったし、今更ながら傍聴記を僕が書いても誰も読んでくれないよなと思ったのだ。ふと、今更ながら気付いた。自己顕示欲が満たされないから実行しなかったのだと。若気も至らなかったのだと。しかし、50歳を前にようやく一歩目を踏み出す気になった。織田信長ならすでに死んでいる年齢だ。さて、信長より歳を重ねた経験値の無いおじさんが初めて見る裁判はどんなものだろう。記念と記録のために静岡地方裁判所をスマホで撮影し建物に入った。

自動ドアが静かに開く

静寂

特に音はない。聴こえるのは、外よりは涼しい程度の空調の小さな音とここ数年来、僕と常に共にあるキーンという左耳の耳鳴りだけだ。ふと、小さな看板にこうあった「許可の無い撮影・録音禁止」なるほど、そんな事もあろうとペンとメモ用紙は事前に準備してあるのだよと、無意味に自慢したくなったが、その相手が居ない。
どうしたものかと辺りを見まわすと、右手に整備員らしい服を着たメガネの大柄の男性が座っている小さいカウンターがあり、そこにはピンクの紙製のフラットファイルが置いてあった。近づいてみるとファイルの端はよれて少し破れているようだ。中にはA4サイズの紙が何枚か挟まれていて、そこには今日の開廷予定の法廷番号、裁判の時間、内容、被告人、原告などの情報が書いてあり必要であればメモを取っても良いとのことだった。

刑事事件裁判1件目の傷害事件は10時30分から202法廷で行われる。その後11時、15時30分と3件の刑事裁判が同じ202法廷で開かれる。裁判官は谷田部峻なるほど。メモをとりながら頷いては見たものの実のところ何もわかっていないのだ。わかったふりしているおじさんはカッコ悪い。わからないことはわからないと聞くようにしようと密かに自戒した。
ページをめくると民事事件の午前中の裁判は204・205法廷で10時からすでに始まっている。午後も13時10分から同じ法廷で開廷される。

刑事事件から見てみようと思った。202法廷は2階だろうから階段で行けばいいや。誰ともすれ違う事なく2階のエレベーターホールに着くと案内看板があった。202法廷はエレベーターを背にして左前方にある。みると廊下にはいくつかのドアが並んでいた。よくみると「関係者入り口」だとか「傍聴人入り口」だとか書いてあった。傍聴人入り口のドアには小さなツマミのついた覗き窓が付いていた。ツマミを右手で持ち覗き込んでみた。「Hello legalworld.」

スーツ姿の人が数名見える。弁護人か傍聴者か判断できない。少し右に視線を移すと白いTシャツ姿の男性の姿が見えた。彼が被告人か。ややふっくらとした顔つきとぽってりとした唇。不安と不満が入り混じった表情をしている。まだ、開始していないらしい。よし入ろう!思い切って、だが静かにドアを開けた。

正面奥には裁判官らしき男性。その手前、一段低い場所に書記官がいる。右側には検察官だろうか?男性が一人座っている。左側にはいちばん奥に年配の男性、代理人弁護士だろう。その前には左右を刑務官に挟まれた被告人の男性が座っていた。後で分かった事だが、被告人は腰縄手錠をされた状態で入廷してくる。僕が入廷したのは腰縄手錠を外された直後だったようだった。座席に着こうと僕が空席を物色している頃合いで、裁判官の前に座っている裁判書記官が言った。
「ご起立ください。」
慌てて適当な座席につき、周りを見ながら一礼し着席した。
跳ね上げ式の座席のそれは映画館でお馴染みの仕組みだ。座ってみたところやや硬め、ここに長時間座っているのは嫌だなと思いつつも着席しメモ帳とペンを取り出した。さて、今回行われるの冒頭手続きと証拠調べ手続きというらしい。
裁判官から言葉が発せられた。
「被告人は前に。」
すぐに被告人が証言台に移動を促された。被告人の男性は勾留中だからか髪の毛も伸びて少しだらしがない感じだ。
いやそれよりも、僕がこの法廷をのぞいて彼をはじめて見た時に直感として、境界知能もしくは発達障害ではないだろうかとなぜか確信めいたものを感じたのだ。なんの確証も何のにだ。
証言台に移動した彼に裁判官がゆっくりと質問をした。
「氏名と生年月日は?」
少し不思議な感じがした。まるで質問自体にルビが振ってあるような言い方だ。少しの間をおいて被告人の彼が答えた。
「本籍と住所は?」
また、発生した言葉にルビをつけるかのような聞き方だ。また、少し戸惑いながらも被告人の彼が答える。この辺りで僕の感じた印象はさらに強くなっていった。
「職業は?」
「無職です。」
裁判官の明瞭な、それでいて優しさもある言い方が印象的だ。
「これからあなたに対する傷害被告事件についての審理を行います。検察官、起訴状の朗読をどうぞ。」
やはり、法廷右側にいるのが検察官らしい。検察官は起立して起訴状を読み上げる、内容は傷害罪だ。
高齢の被害男性と被告人が口論となり、被告人が団地の共用倉庫から鍬を持ち出し、それで被害男性を押した。さらに口論は続き被告人は鍬で男性を叩き被害男性は尻もちをついた。そこにさらに殴打を加えようとしたところ近所のAさんに「それ以上やったら罪が重くなるぞ!」と言われたので殴打をやめた事。被害男性は腕の打撲及び出血、鎖骨部の打撲などを負傷し病院を受診したことなどが述べられた。

続いて裁判官が被告人に向かって黙秘権についての説明を行った。やはり、わかりやすくを意識したような話し方だった。
裁判官はさらに続けた。
「今検察官が読んだ公訴事実に間違いはありますか?」
被告人は首を左右に振った。すると後ろにいた代理人の弁護士が発言した。
「間違いありません。起訴事実について争いはありません。」
という事で、この裁判は有罪無罪を争うのではない量刑裁判となった旨を裁判官、代理人、検察官が了承した。

続いて検察から被害者の怪我の状態の写真や診断書などの提示、凶器に使用された農具の鍬やそれがしまわれていた共用倉庫などの図が示され、それもまた相違ないことが確認された。

裁判官が検察から提出された書類をめくっている時にちらっとだが、その手に黒いサポーターが見えた。よく見れば両手にサポーターをしている。めくっている時に身体を左右に大きく体重移動させているようだ。臨床家時代の悪い癖で、身体に問題を抱えていそうだと思うと、原因を追求したくなってしまう。答えはすぐにわかった。手指手掌が動いていない、麻痺があるのだ。さらによく見れば裁判官は車椅子に座っていた。四肢麻痺だろうと想像した。

そんなことを気にしていたら、続いて代理人弁護士からの冒頭陳述が行われた。そこで言われた言葉はこうだった。
「被告人は幼少時より医師より自閉症、発達障害と診断されており・・・通学も滞りがちになり、自宅で過ごす時間が多くありました。」
僕は思わず大きく頷いてしまった。裁判官と少し目が合った気がした。かまわず弁護人の発言は続いた。
・被告人は現在無職であり、もっぱら自宅で過ごしておりまして、母親が仕事に出掛けている間は留守番をしている。
・母親は毎日朝仕事に出掛け、昼は自宅に戻り被告人と一緒に昼食をとり、午後も仕事に出掛けている。その間被告人は留守番をしている生活をしている。
・以前、家庭内において母親と口論になった折に母親の顔を殴ってしまったことがあった。その時母親は『暴力を振るうことは悪いことなのよ。』と諭した。
多分、その母親は今僕の真後ろに座っている女性だろう。表情を窺い知ることはできないが背後より『情』を感じた気がした。さらに代理人は続けた。
「被告人は今までにも近所の住人らと何度かトラブルになったりしたことがあり・・・」
・以前団地で草刈機の使い方が悪いとAさんに『バカ』と言われた時に怒って草刈機を投げたことがあった。その後母親とAさんのところに謝罪に行き自閉症や発達障害のことを話したら理解してくださり、それ以来気にかけてくれている事。(そのAさんは今回止めてくれた方。)
・その後、被告人は普段仕事をせずに家にいるのでAさんが草刈りを被告人に草刈りをお願いし報酬としてお小遣いを渡していた。
・それを知った高齢者Bが「小遣いを貰うなんておかしい。」と、しつこく被告人に言ってきたので怒って刈り込み鋏を持って追いかけたことがある。この時は母親が謝罪に言って訴訟にはならなかった。
・今回の件に関して被害男性に対し、治療費を渡しているが受け取った旨の書面を受け取れていないので次回公判時には証人尋問をしてその旨を請求したい。
・次回公判時は情状証人として母親を呼びたい。
・鑑定請求を行いたい。

この辺りで、次回公判スケジュールをいつにするかの相談が裁判官、代理人弁護士、検察官で行われたのだが独特の言い回しで気になった点があった。
「さしつかえです。」
初めて聞いた言い回しだ。『差支えます』ではないのか?きっと法曹界用語なのだろう。ビジネスパーソン語みたいなものはあちこちにありそうだ。
次回公判日時が決定するとすぐに被告人に腰縄と手錠が付けられた。被告人が刑務官に周りを固められて移動していくのを僕の真後ろに座っていた女性が少し近づいて見ていた。
優しい眼差しに気がついたのか、被告人は少しだけ女性の顔を見てうつむき加減に退廷して行った。

続く

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