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心のコップ

人にはそれぞれ心の中にコップがあって、少しでも満たされる人もいれば、底抜けコップでどれだけ注いでも満たされない人もいる。
私は圧倒的後者だろう。

  ○○○

私は3人兄姉の末っ子だ。2歳ずつの年子なので兄とは4歳年が離れている。
長男、長女の立場の方からいえば、妹なんて甘やかされて自由きままに過ごしてるようにしかみえないだろうけど、末っ子は末っ子の苦悩を持って毎日を生き抜いていた。
まず、どうしたら親から怒られないか日々兄姉を観察しないといけない。
次に、新作の服やおもちゃはめったに買ってもらえない。
最後に、どうあがいたって小さい子扱いされる。
3番目がとくに大変だ。自分の目からは兄姉と同じような年齢だと思って行動しているのに現実は当然ながらうまくいかない。失敗ばかりだ。その反面兄姉は何も手こずることなくそつなくこなしている(ようにみえていた)
姉に混ざって絵を描いても、姉みたいにかわいいお姫様の絵にならないし、
兄みたいにバスケットボールのシュートはうまく入らない。
周りの大人たちは兄姉ばかり褒めている(ようにみえていた)

こうして私は自分に適量の水をコップに入れられていたのに、もっと欲しい、何も入っていない、お姉ちゃんたちのように大きいコップにたくさんお水を入れてというような欲しがりの子になっていったのだ。

いつしか自分でコップにヒビを入れるように壊していた。そうしたらまた水をもらえると信じて。
その行為は怪我をしたとき心配されたことが忘れられないがために、治りかけのかさぶたを剥がしていつまでも治さないようにしているかのようだった。

  ○○○

中学まで毎日コツコツ傷をつけていたコップは、その後出会った友人や高校の時の部活の経験などからまたひとつひとつ修復されていった。
他人と比べることなく、人は人、自分は自分だと少しずつ肯定できるようになってきた。だけど、最初にもらったコップには戻れない。どんなにキレイな素材を見つけても、もともとのガラスの破片はもうどこかに消えてしまった。
それでも自分は自分だと思えているはずだった。

大学に入り、周囲との話題が恋バナばかりになるにつれて自分のツギハギだらけのコップを気にするようになった。
あの子は傷ひとつない大切にされてきたガラス製。あの子は代々引き継がれてきたビンテージもののコップ。あの子は個性的だけど、それがかっこいい陶器のコップ。
自分のコップを見せることが恥ずかしくて、後ろに隠して注がれる前に相手に水を注いで相手のコップを満たすことにした。
しかしどんなに注いでも、私のコップに水が注がれることはなかった。
今日は私ものどが渇いたなぁと思っても、一滴も水が入らない。
だけど文句は言えない。私の水は、あの子達みたいにミネラルウォーターや炭酸水を注げない普通の水だから。ふつうだけど、無料でいっぱい注ぐということが私の売り。
我慢してとにかく注ぎ続けた。水がいつか枯渇することに気づかないふりをしながら。

  ○○○

もうカラカラだった。あと残り数滴で池の水がなくなりそうだった。仕事の不安や人間関係、この先やっていけるかなどのマイナスな気持ちが水を蒸発させていた。
それでも何とか雨水を駆使して貯めて、注いでいた。そんなときに今の夫と付き合った。

2回目のデートのとき。
貯めていた雨水もなくなり、ふとのどが渇いたなぁとつぶやいた。
その瞬間、私のコップが満たされた。
飲んでみると、白ぶどう味のQooだった。
なんで?ときくと、のど渇いたんやろ?とごく自然に返された。返そうとしても、返す前に注がれる。
いつも私だけに満たしてくれるので、余計な不安がなくなった。乾ききったと思った私の池からは水が湧き出るようになった。
この人の水がなくならないように、なくなりそうになったとき分け与えられるように、ずっと隣にいたいと思って入籍した。
いつしか私の水からほんのり白ぶどうの味がするようになった。

  ○○○

満たされたコップを眺めながら、またいつか不安になってコップを割ってしまったらどうしようとぼんやり考えていた。
というか、夫は私のコップがどんなものかを知らない。私が夫のコップを知らないように。
わりとスピード婚だったのだ。これからの長い間に知っていければいいと思っている。
普通は結婚する前にコップを見せあって、人々の前でこんなコップを作っていきますと誓いあわないといけないのに、私は自分のコップを知られるのが怖かった。
無理に聞かれなかったのでその優しさに甘えていた。ずっと夫のQooを飲めるだけで十分だった。
だけどこの先、見せないままにもいかない。それに、家族になったこらこそ見せたい気持ちもある。
いきなり見せるより、まずコップのことをどう思っているか聞いてみよう。
隣の部屋ではテレビの音と、夫の笑い声がかすかに聞こえてくる。

「ねぇ、私のコップってどんなんやと思う?」

「えー、んー、そやなぁ。プラスチックのやつちゃう?」

それなら手が滑って落としても割れないから心配ないやろと言ってから興味を失ったのかまたテレビの世界に戻っていった。

部屋でひとり嬉しかった。
もうむりやり壊して水がもらえるか確かめなくてもいいのか。
注がれるまま安心して注いでもらえるだけでいいのかと。
もともとのコップは大切に保管し、今日からはこのコップを使おう。

小さい頃から欲しがりだったこの子の心は、ついに安定して満たされるようになったのだ。


  ○○○

ちなみに、夫に聞いたら夫のコップはシャンパングラスだった。
繊細な細いグラス。割れないように、そして人生の最後、彼に勝利の美酒を飲ませてあげられるように今日も彼の隣で支えていきたい。

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