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シャニマスの実在性の高さを立ち絵から考える

シャニマスの魅力の一つとしてよく語られるのが「実在性の高さ」。

登場するアイドルたちは単なる「ゲームのキャラクター」であると頭では理解していても、多様な感情を持って生きているかのように錯覚してしまう。
この実在性の高さは深い感情移入の賜物だと、私は思っている。

世界観に没頭したり、キャラクターに気持ちを重ねて泣いたり、憤ったことはシャニマスに限らず経験があると思う。

何故画面の向こうで起きていることに感動するのか。
それは視聴者という第三者的な視点から、当事者としての視点へと立ち位置が変化するためだ。
この変化をもたらすのが感情移入である、と私は考える。

次に考えるのは、「シャニマスにおいては何がユーザーの感情移入を促しているのか」という点だ。
しかしすぐに「感情移入を促す素は一つだけではない」と思い至る。

ゲーム性、シナリオ、音楽、イラスト…そのすべてのマテリアルを駆使して、シャニマスはユーザーの立ち位置をゲーム内に引き込む。

しかしそれは、ほかの作品も同様のはずだ。

ではシャニマスはほかの作品と何が違うのか。
「シャニマスはすごく良い」と思うからには、なにか理由があるはずである。

巷では「絵が良い」「シナリオが良い」という点が良く語られるが、
今回私が着目してみたいのは「アイドルたちの立ち絵」である。

動く立ち絵

シャニマスの立ち絵は動く。
これがシャニマスの立ち絵における最大の特徴である。

動かない立ち絵は古い。
動く立ち絵を体験してしまうと、もはやそう感じざるを得ない。
完全なる上位互換だからだ。
回らない寿司を食べた後に回転寿司に行くと物足りないのと似ている。

そこで、まずは動く立ち絵の特徴と、それによる効果を考えていきたい。

静止画よりも情報量が多い

これは誰もが感じている通りだろう。

静止画とはつまり、ある一瞬を切り抜いた状態である。
どのようにしてその一瞬に至ったのか、その一瞬の後はどうなるのかが分からない。

一方、シャニマスでは表情の変化や身体の動きなどが一連の動作として表現される。
これにより、ある一瞬ではない、連続した感情の変化を受け取ることが可能なのである。

立ち絵を動かすことで静止画よりも多くを語ることができるため、我々ユーザーはアイドルたちの感情をより高い解像度で感じ取れるのである。

時間が流れ続ける

シャニマスの立ち絵は常に動いている。
セリフをしゃべっていない時も、呼吸による揺れが表現されていて、微妙に動き続けている。

これが何を意味するか。
時間の連続性である。

ゲーム史に残る大ヒット作となった『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』では「主人公がいなくても世界は動いている」ことによるリアリティを追求したという。
シャニマスにおける動く立ち絵もそれに近いのではないか。
(参考:https://www.famitsu.com/news/201704/20130678.html?page=2)

当たり前だが、人間は静止しない。
生きている以上、微かながらも運動は常に続いており、自分が喋るときだけ動くわけではない。

シャニマスにおいて、もしアイドルが喋るときだけ動いて、それ以外は静止状態だったならどうだろう。
ゲームだからそういうものと割り切ることもできるが、少なからず違和感はある。

この「常に動き続けている」ことが、「アイドルがそこに生きて存在し続けている」ことの表象となり、リアリティの創出に一役買っているのではないか。

そういう意味では、ホーム画面で何も操作しないとアイドル同士が会話しだすのも、ゼルダBoWにおける「主人公がいなくても世界は動いている」ことの表現に近いと感じる。

どうもシャニマスはこういった「我々が生きる世界における当たり前」を表現することに心血を注いでいるように感じる。
非常に頼もしい。

3Dでないことによる恩恵

シャニマスでは、立ち絵のイラストは二次元である。

昨今では3Dモデルを使った表現も多い。
例えばミリシタではコミュで3Dモデルが動く。

そんな中で立ち絵をあえてこの2Dのイラストにしたのはコスト面からか、真意は私にはわからないが、これが3Dでは成し得ない表現を生み出している。

まず3Dの特徴とは何か。
特徴の一つは、キャラクターを3次元の存在として受け取ることができる点である。
そのため、平面のイラストよりもリアリティを感じることができる。
ただし、一方で欠点もある。

3Dモデルはリアリティがある分、リアルとのずれが目立つのである。

3Dのゲームをプレイしていると、ちょっとした身体の動きや表情の変化などに違和感を覚えることがある。
キャラデザは良いのに、動きが不自然でどうにも感情移入できないなんてことも。

ノベルゲームを離れたたとえになるが、
ファミコン時代のマリオが振り向くときは一瞬で反対方向を向く。
しかし64以降の3Dマリオは当然然るべき過程を経て振り向く。

仮に3Dマリオが一瞬で振り向き後の姿になったなら、私は絶対に「あいだのモーション抜けてるよ」と感じる。
3Dは素でリアルな分、モーションに求められるハードルが上がってしまうのである。

シャニマスの場合は、立ち絵が2Dなので、3Dほどハードルが高くない。
多少の二次元的表現も許容できる。二次元なので。

しかしシャニマスが真にすごいのは、2Dでありながら3Dで求められるハードルを越えるほどに細かく作りこまれているところ。

手足や目線の動き、おじぎのモーションなど、3Dモデルが動いているかのようなクオリティで表現されている。
そこにリアリティを感じるのは、全く不思議ではない。

まとめ

つらつらと好き勝手書かせていただいたが、何と言っても、ブラウザゲームという媒体でありながらこれだけの表現をしているシャニマスの企画開発陣には称賛の意を表したい。
基本プレイ無料でここまで踏み込んだ楽しみ方ができる作品はそう多くないだろう。

今回はシャニマスの立ち絵に実在性を感じたためそれを取り上げて考えてみたが、当然それ以外にも様々な要素がリアリティの表現に貢献している。
いずれまた、シャニマスが持つ魅力の由来について考えてみたい。

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