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作ることは悪魔の契約──届かない愛を胸に抱いていて生きてきた証に変えていける?

答えは、YESだ

永田カビ先生 「現実逃避してたらボロボロになった話」

を拝読いたしました。
ご本人はたいへんお辛い状況にあった(ある)かと存じます。
それでも私はこの本を読んで、永田先生が素晴らしいクリエイターであることを確信いたしました。知的な方なのだなと。自らの状況を分析して、何が描かれるべきなのか自ら答えにたどりついていらっしゃる。また、クリエイターの端くれとして私も共感するところがございました。こんなド三流物書きの言葉が永田先生のもとにとどくとは思えませんが、書きたいと存じます。

作ることは悪魔の契約

創作活動とは、自らの体や心を少しずつ切り売りして作品に仕上げていく作業だと思っています。ゴッホは耳を捧げました。ベートーヴェンはアルコールに鉛を入れました。永田先生は自らの寂しさや、膵臓を差し出して作品に仕上げました。谷川流先生や知人の百合作家のように、メンタルやられてしまう方もたくさんいます。
ハガレンじゃないですが、何かを得るためには何かを差し出さなくてはならない。
その差し出すものが辛い思い出ならば、作品にして昇華することで辛さは消えていくかもしれません。大事な思い出なら大事さが増すかもしれません。
逆に、作品にすることで自分が傷ついてしまうこともあるでしょう。でもそれはクリエイターに向いてないとかではなくて、その切り売りした部分が自分の急所だっただけです。

届かない愛を胸に抱いていて生きてきた証に変えていける。

私はずっと満たされない初恋を胸に抱いたまま創作活動をしています。
それが私の創作の原動力です。
切り売りするたびに思い出して胸がぎゅぅっとなるけど、きっと誰もが味わったことのあるそれを、「だけどそれも悪くないでしょ」と言いたくて書き続けています。私なりの愛の昇華のさせかたなんだ。
だからごめんね、何度でもネタにさせてもらいます。
これが私の切り売りする部分。
心の一番弱くてやわらかな、充血した部分。
ネタ考えてるとき悲しくてしょうがないけど、書き上がると「書いてよかった」と思えるようになります。
精神科の先生にも言われました。「それはKyo-asuさんの人生や創作に必要なものだから、大事にしなさい」と。
私はこれからもこの気持ちを大事にします。
これを切り売り、いいえ、人にお裾分けしながら作品を作っていきます。
お裾分けが気持ちいいから、私は切り売りしても鬱にならないのだな。

永田先生、この度は素敵な本をありがとうございました

たいした感想ではありませんが、三流クリエイターとして共感したので感想をお伝えしたく書かせていただきました。
お体、お大事に。

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