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孤独は日にち薬で治すものではない

日にち薬という言葉がある。
怪我や病気を治すために特別な治療をせずに自然の力に任せるという目的で使うことが多い。
本来は痛みや苦しみ、悲しみなどを癒す時間の経過を薬に例えたものである。
つまり、身体的な部分だけでなく、内面的な部分を癒すことが必要なのだ。それを考えずに安心させようと軽いノリで使う場面も多いが、実際は不安を煽ってしまう言葉になる可能性がある。

介護という仕事柄、生と死への向き合い方や意味を問われる(問う)事が多い。
例えば、「早く逝きたい」と言う高齢者の言葉は日常に溢れている。軽いノリで「そういう人ほど長生きしますよ」と笑いに変えながら返答する事も正直多い。だが、それは本音か否かに関わらず、相手の思いを受け止めず一方的に話を誤魔化しているだけにすぎない。

介護の世界は利用者に寄り添う事が大切とされている。しかし、大切だとわかっていても、寄り添い方やそもそもの意味はぼんやりとしている。
「早く逝きたい」は、もしかすると本音かもしれない。しかし、孤独や寂しさ、本当は元気に生きたい、不自由な体を理解して欲しい、楽しみがない、本音が話せない、家族と過ごしたい…様々な思いの背景があるはずだ。
介護の教科書には「思いの背景を理解しましょう」と書かれているのが一般的かもしれない。だけど相手の思いの背景を理解する事はそう簡単ではないはずだ。

先日、マーケティングコンサルをしている方から本音を引き出せる環境づくりの方法を学んだ。
その一つに一方的ではなく、双方向(インタラクティブ)のコミュニケーションが大切だという事であった。また、この時に大事なのは、「絶対に話の腰を折らない」「最後まで話を聴く」「頭ごなしに否定しない」「先ずは必ず感謝+肯定から会話を始める」を実践することだと話された。当たり前の事だと思いがちだが、いざ自分の行動を振り返ると、その当たり前が出来ていない。

世界で一番恐ろしい病気は孤独だとマザーテレサは言った。
孤独は日にち薬で治すものではない。
特に今、コロナ禍の長期化で、施設に入所している高齢者は面会制限等で家族や友人、外部との交流が途絶えている。介護の専門職として高齢者の孤独という病気とどのように向き合うのか試されていると思う。
明日からどのように高齢者の思いを知り、どんな特効薬を飲んでもらえるのか、大切なコミュニケーションのあり方を問い直していかなければならない。確実にそう時間はないのだ。

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