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高齢者が若者を「ケア」する仕組み

伝統と身土不二

最近、知り合いのお母さんに手料理をごちそうになった。
茄子の煮浸し、切り干し大根、胡瓜の浅漬けなど自家菜園で採れた野菜をふんだんに使った贅沢なメニューであった。
長年、調理の仕事をしていた方で上品かつ素材を活かした味つけは最高に美味かった。

身土不二という仏教用語がある。
人の体と暮らす環境は一体で切り離せない関係という意味である。
特に食に関してよく使われ、自分が暮らす土地でその季節に収穫したものを食べる事が健康に良いという考えである。
地域には習慣や風土に合わせた伝統食がある。その伝統を受け継いでいく事を地域や家庭で代々行ってきた歴史がある。

コロナ禍だからこそ伝統が大切

地域コミュニティやまちづくりは時代に即した形で新しい取り組みが実践されている。しかし、食に限らず地域の衣食住に対する伝統の継承はネット環境やSNSの普及等のライフスタイルの変化によって薄れていると感じている。
だが、コロナ問題によりライフスタイルや暮らしの価値観が大きく変わり、今こそ地域の習慣や風土を見直す時期に来ているのではないだろうか。つまり、コロナウィルスの様な感染症や飢饉、戦争といった様々な苦難を乗り越えた歴史があり伝統があるはずなのだ。

多世代の交流が生み出す発信の形

地域の伝統を継承することは特別なことではない。例えば、茄子の煮浸しの作り方をYouTubeやSNSで発信し、そこから生まれる若者の発見や学びから、新しいコミュニティを生み出せばよい。つまり、茄子の煮浸しの作り方という暮らしの些細な日常をたくさん繋げていけば、伝統は継承し、地域コミュニティは活性化し、コロナという苦難を乗り越えるヒントが導き出せるのではないだろうか。

課題は伝統を発信したり、コーディネートする人が必要だという事である。
家族等の出来るだけ近しい人が繋がりあっていけば、より中身の濃い伝統の継承ができるかもしれない。それが難しいのなら、色々な異業種が一緒になり様々な観点から伝統を発信できれば良い。茄子の煮浸しの作り方を様々な角度から見つめれば新しい発見があるかもしれない。

ケアという概念から

ケアという概念は「介護」や「世話」だけでなく、「自己実現」や「共感」「配慮」といった人としての暮らし方、生き方を認める事でもある。
ケアとは対人として一方的になるのではなく、双方向でなくてはならない。

高齢者が若者を「ケア」する。
そこからコロナ禍という時代にあったライフスタイルが導き出せるはずだ。

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