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無感情から誰かの光になる

生きることは誰かの光になる事。自分自身の命をすり減らす事で誰かの光になる。そうやってお互いに照らし合っている。

最近読んだ小説の一文である。シンプルに僕もそうありたいと漠然と思った。
介護の世界で仕事をしていると、そう感じる場面がすごく多く、長く仕事を続けている理由ともいえる。
だけど、命をすり減らす事で怒ったり、泣いたり、不安になったり、笑ったり…自分の感情と上手く向き合うために色んな悩みやプレッシャーを抱えている人も多い…僕もそうだ。


自分で決めた道だからやるしかないし、あるものをそのまま受け入れて対処する覚悟が無ければやっていけないでしょうね。相手を選べない勝負を常に求められる立場に居ると無感情になるしかないと伝えています。
仲良くして頂いているプロスポーツ選手のお父さんの言葉である。この事を子どもへ常日頃から伝えているそうだ。


好きとか嫌いとか相手に興味を持っているからしんどくなる。だから私は相手に対して無感情で向き合う事にしている。そうしたら気持ちが楽になるよ。
昔、人間関係に疲れた時にアドバイスをくれた職場の同僚の言葉である。ちなみに彼は介護のスペシャリストだ。


両方ともに無感情を通じて悩みやプレッシャーの乗り越え方を説いている。
目の前の敵に立ち向かう為の無感情?
目の前の敵から逃げる為の無感情?
どちらが正しくて、どちらが間違いというものでもない。
だけど、無感情が誰かの光になるために必要という事には不思議な感覚がある。


普段、僕は無感情に生きる事には否定的である。無感情って虚無感に襲われるからだ。
おそらく僕は、仕事やプライベートに限らず、人に対して肯定や否定を繰り返しながら、自分の価値や意味を確認することで目の前の課題を乗り越えるタイプである。
つまり、無感情とは正反対に生きているのだろう。


ネットにはアンガーマネジメントなど感情をコントロールするための手法といった情報がたくさん溢れている。
感情は自分次第でプラスにもマイナスにもなると謳ってある。
もし、無感情によって周りの感情に振り回されることがなくなり自己肯定感も高まれば、対人関係や人生への影響は満足感・充実感に繋がるはずだ。
そう誰かの光になれるのだ。
僕にとっては虚無感とどう向き合うかが問題だが…無感情とは悟りに近いのかもしれない。


さあ、今夜は夜勤だ。
介護の夜の世界は暗くて深い。
暗闇を明るく照らす誰かの光になかなかなれないが、命をすり減らす努力をしたいと思う。

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