いじめはなくならない、でも、なくす努力は必要だ

いつの世にも、どこの国にも、いじめはある。残念ながら今後も無くなることはないだろう。

自分自身、他人からいじめられてきたこともたくさんあったし、少ないながらも人をいじめた経験もある。

いじめが良くないことは、誰もが知っている。しかし、中野信子さんによると、人間はいじめ行為で脳が快感物質を分泌するため、いじめはやめられないそうだ。もちろんこのことがいじめを正当化する理由にならない。

教育現場でいじめが原因の生徒の自殺など起きると、よく学校長が謝罪したりするが、いつも違和感を感じる。本来謝罪すべきは、いじめた本人やその保護者である。これが正されない限り、問題は更に深くなっていく。

いじめられた側にも非があるとの考えも明らかに間違っている。いじめられる側は、自分にも悪い面があったのでは、と反省しがちだ。そんな謙虚な性格につけ込んで、いじめる側は更にいじめ続ける。

法や秩序が無い時代は、正に弱肉強食の名の通り、強い者が弱い者の土地やモノだけでなく、命さえ奪った。弱い者は、時に他人の援助を受け、時に知恵を使いそれらに対抗した。こうした生き残る術を身につけられなかった者は死んでいくしかなかった。

しかし、高度に文明化した現代は違う。こどもに対して、弱い者に手を差し伸べることの大切さを教えるのが真っ当な大人である。あらためて言うが、いじめの問題は、いじめる側が絶対に悪い。

一方で、いじめられる側に立つ人も、これに対抗する術を身につけていく必要はあるだろう。どんなに環境が変わっても、一生いじめられる側にいることになる。しかし、子供にはその術がない。安全な環境を大人たちが作っていく必要がある。

今の世に蔓延る自己責任論は一見、強者の論理に見える。個人的には弱者が更に弱い者に対して向けられる考え方から出てきているように思える。この目線といじめる側の心理に共通するところはないか。少し心配だ。

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