見出し画像

私の履歴書(9)悪意の無い呪いの言葉

人が人に呪いをかけてしまうことは時折起こります。かけた方には然程悪意はなくても、かけられた側はいつまでも忘れられなかったりします。

私には、過去にこんな経験があります。

銀行員時代。二つ目の支店で、仕事に対するモチベーションを失いかけていた頃、転勤が決まりました。たまたま当時の上司が、次の支店の上司A氏と同期。その上司は私にこう言いました。

「お前はラッキーだ。次の店の課長のAは、本当にいい奴だよ。あいつの下でうまくいかないなら、どこへ行ってもダメだ」

今後、自分は銀行員としてやっていけるか不安が募っていた自分には、希望の言葉であり、重い言葉でした。

次の店で上司になったA課長の第一印象は、とても気さくで、支店の誰とも良い関係を築いているように思えました。事実、誰もA課長を悪く言う人はいません。

最初のうちは、日々問題なく過ぎていきましたが、ある日突然、この人が牙を剥いたのです。

A氏から指示を受けていた日々のルーティンワークを夕方に行っていたところ、私がその日に限って仕事の手順を変えた事を不満に思ったA課長は、机を叩いて急に怒り出しました。

「おい、どういうことだ?」

それまで、私のことを、君づけで呼んでいたのに、いきなり呼び捨てされ、これまで見たこともない表情で私を睨みつけています。私は初めて見るA氏の豹変ぶりに、心底恐ろしくなり、固まってしまいました。

指示された仕事そのものは滞りなく遂行しています。しかし、些細な手順の変更が彼のプライドを傷つけたようです(20年以上経った今でも、怒りの原因が何なのかわからない)。

それ以降、たびたびA課長は、私の仕事に文句をつけ始めました。言葉遣いが巧みだったこの人は、返答のしようもない質問を繰り返し、私を問い詰めました。更に、一年上の先輩もこれに同調し、イジメ包囲網が形成されました。

この頃の私は、前任店の上司の言葉が、頭にこびりついて離れませんでした。

「A課長の下でうまくいかなかったら、どこへ行ってもダメだ」

まだ若かった自分には、銀行員失格の烙印を押されたような気分に苛まれました。

今の年齢になればわかります。

Aさんという人は、典型的な外面の良いタイプの人なのです。社交的で、話が流暢で、誰とも如才なく接することができるので、上司や同期にはウケがいい。しかし、部下などの特定のターゲットを徹底的にいじめるような、裏表のある人です。

今でも記憶に鮮明なのが、お客様のお宅を一緒に訪問した時の態度が横柄さ。お客様は普通に座っているのに、A氏は足を組み、タバコを吸いながら交渉していました。どちらがお客様だかわからない状況に困惑しました。

とても人の良かった前任店の上司は、A氏の外面の良さしか見えていなかったせいで、私に対して、悪意なく呪いをかけてしまったのです。

人生経験の浅い頃ゆえ、ここまで見抜けなかったのが、今更ながら悔やまれます。

銀行を辞めて五年程経過した頃、一度だけA氏と会ったことがあります。その時の彼は、相変わらず私に対して威圧的で、「もっと頭を下げろ」と言わんばかりの態度でした。

もちろん、その時点でA氏は上司ではありませんので、対等な立場で話すことを心がけました。決して下手に出ない私の話ぶりに対して、A氏は、自分がマウントを取れないことに不満を感じたことでしょう。それから二度と会っていません。

うつ病の寛解期にある自分にとって、こうした過去の辛い体験の記事を書くことは、とても苦しい作業です。しかし、これを書き切ることで、蔚積した何かが、自分から抜けていくようなデトックス効果と期待して書きました。

社会にはびこる不条理さに苦しんでいる方々の参考になれば幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?