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愛聴盤(13)田部京子さんのシューベルト

CD5枚にわたる田部京子さんのシューベルトのピアノ曲集のことを書きたいと思います。この素敵なピアニストのファンは多いことでしょう。この方にしか紡ぎ出せない音楽があるからです。

シューベルトに関しては、以前の記事で、白井光子さんの「冬の旅」について書きましたが、私にとって、ピアノ曲も、歌曲同様に大切な音楽です。

ベートーヴェンの音楽が全人類へのメッセージだとすれば、シューベルトの音楽は私小説的な音楽のように感じています。特に、彼の晩年の傑作は、夜更けにたった一人で静かに耳を傾けるべき音楽でしょう。

私にとって、ベートーヴェンは畏敬の対象であるのに対し、シューベルトは敬愛の対象なのです。

私は、とかくポジティブに生きることを良しとする風潮が苦手です。逆境を克服し、大きな成果を手にした人を賞賛することに異論はありませんが、その成功ストーリーを過度に美化したがるメディアと、そうした価値観の押し売りには違和感しかありません。

「冬の旅」において、シューベルトはネガティヴな感情に支配されたままの主人公を描きました、彼は、自身の音楽の中で嘆き、悲痛な叫び声を漏らすことがあります。美しいメロディーの裏側に、暗い素顔をさらけ出す時もあります。

それが聴く者の魂に響くのです。

田部京子さんのピアノは、一音一音が意味深く、瞑想的で、聴く人に優しく語りかけてきます。時に雄渾で、時に涙が出るほど切ない。深いため息のように聴こえることもあります。

どの曲も素晴らしいのですが、ピアノ・ソナタでは、緩徐楽章の美しさに胸を打たれます。高音から低音まで磨かれた音色が印象的です。各プレースを自然に浮かび上がらせる手腕に唸らせられます。

私に初めてシューベルトのピアノ曲の素晴らしさを教えてくれたのは、アルフレッド・ブレンデルでした。その他、ラドゥ・ルプー、クリストフ・エッシェンバッハ、クリスティアン・ツァハリアス、内田光子など、素晴らしいピアニストの演奏に触れてきましたが、私の心を最も捉えて離さないのが、田部さんの演奏です。

田部京子さんという稀代のシューベルト弾きと同じ時代を生きていることの幸せを噛み締めます。

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