見出し画像

私の履歴書(2)中学・高校生時代

志望していた私立の中高一貫校に運良く合格し、明るく楽しい中学・高校時代が送れるものと思い込んでいましたが、現実は厳しいものでした。

最初に苦労したのは通学です。その日の教科書、ノート、辞書など、大人でも心が折れそうな重さの鞄を肩にかけ、都心に向かう通勤ラッシュの電車を乗り継いで一時間以上をかけて通わねばなりません(今なら、辞書は電子辞書になり、鞄はリュックなんでしょう)。身体の小さな自分には苦痛でしかありませんでした。

当たり前ですが、進学校なので首都圏の秀才が集まっています。自分より地頭の良い生徒が多く、会話レベルの高さに圧倒されました。中学三年くらいになると、学力の優劣がハッキリしてきます。自分はずっと下位を低迷。小学生時代の自分は「井の中の蛙」であったと悟りました。

学力だけでなく、運動も苦手な自分は常に劣等感に苛まれ、気さくに話ができる友人も少なく、高校に上がった頃には、すっかり自信を無くしていました。たまに同級生から声をかけられても、傷つくつくのが嫌なので、親しくする気も起きず、一人でいることを好むようになりました。

そんな自分を救ったのがクラシック音楽でした。高校の図書館の中に音楽視聴室があって、音楽室に肖像画が飾られているような大作曲家たちの名曲のカセットテープが聴けるようになっていたのです。

放課後、たった一人で図書館のブースにこもり、ヘッドホンで名曲を聴く喜びに浸りました。モーツァルトの天衣無縫さに心が踊り、ベートーヴェンに勇気をもらいました。ドヴォルザークと一緒に歌い、チャイコフスキーと一緒に泣きました。今はあまり聴かなくなったマーラーの一時間超えの交響曲も苦になりませんでした。

「自分は秀才でもないし、運動も苦手だ。特技があるわけでもない。しかし、これら名曲の素晴らしさはわかる。この学校の生徒の中で、一番わかっているかもしれない。」

音楽に感動している自分を確認することで、自分がいま生きている実感を得ていたのです。

「明日もまた、知らない名曲に出会いたい。」との思いがこの時期の自分にとって支えでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?