いつか必ず訪れる死について考える
先日、社用車で信号待ちをしていると、霊きゅう車に棺が納められる様子を見ました。ぼんやりと眺めながら、この状況を、将来の自分と重ねて合わせました。
そんな気分を引きずりながら帰社。トイレに入り、洗面台の鏡に映る老け込んだ自分の横顔に愕然とします。
「いつか自分もお別れする時がくる」
自分に最期に、妻子にどんな言葉を残すべきかを考えました。
次の瞬間、「ん?」と思いました。てっきり、自分の方が先に死ぬ気でいましたが、当然、妻に先立たれることもあり得ます。
その事態に直面した時、私は平常心が保てる自信はありません。惨めなくらい狼狽することでしょう。
私は、これまで「孤独」について何度も書いてきました。一日も早く、人間関係の煩わしさから解放されたいと思っていました。しかし、一緒に暮らす家族との別れまで望んでいません。
そう、矛盾です。
大した覚悟もできていないのに、孤独について、軽々しく口にすべきではありません。反省です。
これまで、見たくないもの、認めたくないものに蓋をしてきました。しかし、うつ病を患い、すっかり体力に自信が無くなり、歳を重ねていくにつれて、様々な問題と真正面から向き合わざるを得ないでしょう。
あまり深刻にならず、カッコつけないで行こうと思います。
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