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神の前に「真の父母」が離婚の危機にある

私はここまでの記事で、原理的観点から「十分起き得ること」を書いてきたつもりです。
つまり「真の母たる韓鶴子総裁であっても原理は適応されるので、責任分担を果たせない場合は摂理が延長する」のだと(「メシア無謬主義」は日本統一教会独特の文化)。

信仰歴の長い食口は、文鮮明・韓鶴子夫妻を実の父母のように慕う方も多いことでしょう。
文師が聖和されて12年が経過しますが、父親を亡くした悲しみは完全に癒されたのでしょうか。

愛する人の死が突然で予想外である程、その悲しみから立ち直るのに時間が掛かると言われます。
多くの場合その悲しみは自覚されないことが多く、心のバランスを取るのに苦しむ人も少なくありません。
しかし電気のスイッチのように切り替えられるものではないのですから、泣きたいだけ泣いて、「いつまで」など気にせずに悲しめば良いのです。

ところが食口にとって、更に悲しみを深めた出来事がありました。
文鮮明師の聖和後、統一運動がFPA、サンクチュアリ教会、実体み言葉(駒場)、霊連世協会・・・へと分裂したことです。

諸分派は立場が異なったとしても、一致した見解がありました。
他ならぬ真の父母が、一つになっていないという懸念です(いま真の父母は本当に一つか?)。
韓総裁がいまも文師のことを心から尊敬し愛しているのなら、理解に苦しむ言動が多過ぎるのです。

「独生女(神の独り娘)」の問題をいち早く察知されたのは、UCI裁判の和解協議で直接対話された文顯進会長でした。
韓総裁は、「家庭連合に戻って来るならばUCI裁判を取り下げて、どんな役職も責任も与えてやろう」と和解提案されたそうです。

顯進会長がこの和解案を受けなかったのには、理由があります。
「(家庭連合に戻って)独生女について食口を教育してほしい」という条件付きだったからです。

私はこの話を聞いた当時、「争いを止めることが先決なのに、それが重要なことなのか? 母親なのだから、原則はともかく好きにさせてあげたら良いのに・・・」と訝ったものです。

ところが時間の経過に伴い、顯進会長の懸念が正しかったことが分かりました。
断片的な発言から推察するしかなかった韓総裁の心中は、石像や肖像画を通して具象化されるようになりました。

清平の独生女石像

諸分派は、韓総裁の断片的な発言が「お父様の原理と違う」と反発しました。
教理研究院は内部の情報統制に躍起になりましたが、実際はそんな必要はなかったのです。
「お父様とお母様が一つでない」という可能性は、食口にとって感情的に受け入れ難かったからです。

文師は生涯を通じて真の愛について語られ、その根幹にあるのが夫婦愛でした。
人類歴史上そのような夫婦愛を完成した人物はおらず、文師のみ言は実体験なのだというのが、暗黙の了解だったのです。
「み言の実体」である韓総裁が夫婦一体でないということになれば、教義の根幹「真の父母」が、偽物だったことになってしまいます。

はじめ私は、食口の反発を「(ずっと見下してきた)分派にだけは負けたくない」プライドだと捉えていました。
しかしこれは「勝ち負け」の問題ではなく、愛するお父さんお母さんが「離婚の危機」にあるという、感情問題なのだと再認識しています。
両親に離婚の危機が迫っているのだとしても、何とか引き留めて一つにしたいと望むのが、子供の願いだからです。

FPAの中でも、「お父様は勝利されたがお母様は失敗」と割り切る人は少数です。
文師と韓総裁が一つになっていないということは、(夫婦愛が破壊されたという一点で)連帯責任を意味するからです。

サンクチュアリはこの事態を受け、直ちに文師の離婚・再婚を挙行しました。
原理的には間違っていないのだとしても、家族の同意が得られるのかは甚だ疑問ですが。

断片的だった韓総裁の言説は「真の父母論」として体系化され、日本食口の耳にも届くこととなりました。
「分派の悪意あるフェイク」という言い逃れができなくなり、いよいよ追い詰められることになります。

もはや選択肢は、僅かしか残されていません。
①真の父母論を受け入れ、再臨主の路程も統一原理も不十分だと認める。
②真の父母論は間違っていると結論し、韓総裁の過ちを霊界の文師に取りなす。
③神様の摂理がいまどうなっているのか、分派の主張も含めて再検討する。

原理観のしっかりされた方は②か③だと思われますが、かつてほど分派に移る人は現れていません。
恐らく両親の離婚を阻止したい子供よろしく、②によって事態が好転することを期待しているのでしょう

前回記事で述べたように、子供の切なる願いが何であろうが、最終決定は神様にあります霊界の文鮮明師は韓鶴子総裁を赦されるのか)。
そこでは自分の願望を、神様の決定と同一であるかの如く錯覚しないことが大切です。

なぜ敢えて、「自分の願望」と「神様の決定」を分ける必要があるのでしょうか?
「私の方が真の子女様よりもお父様を理解している」という、根拠のない自信に溢れる食口が多いからです。
三男、四男、七男と(立場は違えど)直系の息子たちの意見が一致しているのに、(一緒に暮らしたこともない)自分の方が「よりお父様を理解している」とは、思い上がりも甚だしいでしょう。

「顯進様は活動を止めなさいというお父様の指示に従えなかった、愛の減少感に勝てなかったカインだ」という言説も、直系子女よりも自分の方が神に近いという無知と傲慢です。


政府による解散命令という、現代におけるエルサレム陥落も目前です(統一教会の解散は神様の決定事項)。

神様はそのような絶望を何度も超えてこられた方だということを思い返し、復帰摂理を諦めないで頂きたいと思います。

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