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霊界の文鮮明師は韓鶴子総裁を赦されるのか

文鮮明師の聖和から今年で12年を数えます。
文師の生前に、いまのような状況を迎えることを誰が予想したでしょうか。

旧約聖書には、摂理から外れた選民が外的粛清を受ける様子が描かれています。
ユダヤ民族は3次に及ぶバビロン捕囚を被りますが、これらは一夜にして起きたのではありません。
エレミヤ、エゼキエルという預言者によって、「外的粛清は絶対に避けられない」と繰り返し警告されたのです。

この時代、バビロンと敵対するエジプトと軍事同盟を結べば、事態は好転するという楽観論がありました。
また不穏な情勢で民を励ましたかったのでしょう、エルサレムの都が陥落することは絶対ないという希望的預言も横行しました。
しかし神様は預言者を通して、このような楽観論や希望的預言に露骨な不快感を表明します。

万軍の主はこう言われる。
お前たちに預言する預言者たちの
言葉を聞いてはならない。
彼らはお前たちに空しい望みを抱かせ
主の口の言葉ではなく、自分の心の幻を語る。
わたしを侮る者たちに向かって 彼らは常に言う。
「平和があなたたちに臨むと
主が語られた」と。
また、かたくなな心のままに歩む者に向かって
「災いがあなたたちに来ることはない」と言う。
主の怒りは
思い定められた事を成し遂げるまではやまない。
終わりの日に、お前たちは
このことをはっきりと悟る。
わたしが遣わさないのに
預言者たちは走る。
わたしは彼らに語っていないのに
彼らは預言する。
わたしは、わが名によって偽りを預言する預言者たちが、「わたしは夢を見た、夢を見た」と言うのを聞いた。 いつまで、彼らはこうなのか。
見よ、わたしは偽りの夢を預言する者たちに立ち向かう、と主は言われる。彼らは、それを解き明かして、偽りと気まぐれをもってわが民を迷わせた。わたしは、彼らを遣わしたことも、彼らに命じたこともない。彼らはこの民に何の益ももたらさない、と主は言われる。

エレミヤ書 23:16-17,20-21,25-26,32

人の子よ、自分の心のままに預言するあなたの民の娘たちに顔を向け、彼女らに預言しなさい。 あなたは言わねばならない。主なる神はこう言われる。災いだ、人々の魂を捕らえようとして、どの手首にも呪術のひもを縫い付け、どんな大きさの頭にも合わせて呪術の頭巾を作る女たちよ。お前たちはわたしの民の魂を捕らえ、自分たちの仲間の魂を生かしておこうとする。 お前たちは、ひと握りの大麦とひとかけらのパンのゆえに、わが民の前でわたしを汚し、欺きの言葉に聞き入るわが民を欺くことによって、死ぬべきではない者を殺し、生きるべきではない者を生かしている。
お前たちは、わたしが苦しめようとはしていないのに、神に従う者の心を偽りをもって苦しめ、神に逆らう者の手を強め、彼らが悪の道から立ち帰って、命を得ることができないようにしている。 それゆえ、もはやお前たちがむなしい幻を見ることも占いをすることもなくなる。わたしは、お前たちの手からわが民を救い出す。そのときお前たちは、わたしが主であることを知るようになる。

エゼキエル書 13:17-19,22-23

清平でいま、あらゆる希望が語られていると伝え聞きます(「真の父母は一体である」という啓示の真偽)。
それは食口を激励しようとする善意なのかもしれませんが、神と無関係な預言を神の名で語る恐ろしさを、自覚していません。

神様に尋ね求めるべきことは、それ程多くはないのです。
私は家庭連合の食口と対話が決裂する度に、このような質問(捨て台詞)を投げかけてきました。

・「真の父母論(独生女神学)」を主張するお母様を、神様は赦されるのでしょうか?
・霊界のお父様は、いまのお母様を赦されるのでしょうか?

宗教聖人が独生女を崇める石像

霊界が分からない人に、即答できるはずがないのです。
おそらくその質問は数分で忘れ去られ、「お母様の下にいれば絶対大丈夫」という安全圏に戻ってしまうのでしょう。

「真のお母様=真の父母様=神様」という宗教権威が揺るぐはずがないと、食口は絶対的な自信を持っています。
私はそのまさに自信の根拠である、「お母様=真の父母様、お母様=神様が成り立つのでしょうか?」を問い掛けているのですが。

真の父母論の全貌が明らかになるに連れて、「さすがにこれはお父様の教えと違う」という困惑の声が聞かれるようになりました。
しかしかつて分派が次々と乱立したような、混乱は見受けられません。
多くの食口は困惑や違和感を抱きながらも、このように考えを整理しているのでしょう。

・真の父母論は確かに間違っているが、神様は赦して下さるに違いない。
・なぜならお父様のお母様に対する愛は、そのくらいでは揺るぐはずのない絶対愛だからだ。
・逆にお父様が赦されないのであれば、「勝利した真の父母」という大前提が崩れてしまう。そんなことは断じてあってはならない。

人間韓鶴子総裁の責任分担不履行については、これまで繰り返し主張してきたので触れません(いま真の父母は本当に一つか?)。
しかし「お父様の絶対愛ゆえに(何をしても必ず赦される)」を根拠にするならば、責任分担など吹き飛んでしまいます。
これは「自由と責任」という哲学的な問題なのですが、理屈よりも感情に根差しているので厄介です。

「霊界のお父様はいまのお母様を赦されるのか」の答えは一つしかありません。
しかしそれは(誰にも分からないだけでなく)感情を激しく揺さぶるので、分断が解消される見込みはないのです。
食口は「いまのお母様をお父様が赦されないとしたら?」という「仮定の質問」すら答えることを忌避してきました。
この激しい感情的反発が何に根差しているのか、そしてどうすれば冷静に議論できるようになるのか、項を改めて記事にします。

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