見出し画像

神様が外的粛清を思い直す可能性

安倍晋三先生が凶弾に倒れた当日の朝に、統一教会にその後起きることを預言したブログがあります。

今日の訓読のみ言葉友の会(2022.7.8)

事件が起きた夜、私は山上被告が信仰2世であることを知らずにこんな記事を書きました。

預言者エゼキエルは、エルサレム陥落のその日に愛する妻を失いました。
エゼキエルは第一次捕囚のユダヤの民に向けて預言しましたが、彼らにとっての唯一の希望が「エルサレムへの帰還」でした。
バビロン軍が攻勢を強める状況でも、本国の軍隊が捕囚の民を救出できると信じていたのです。
その希望のエルサレムが陥落したということは、まさに彼らの「目の喜び」が一撃で、取り去られたことを意味しました。

祝福家庭が悔い改めなければもっと恐ろしいことが起きる

元信者からすれば理解できないかもしれませんが、私はいまも文鮮明師が再臨のメシアだと信じています。
神様は人類救済のためにユダヤ民族を選ばれ、イエス・キリストを救世主(メシア)として降誕させました。
旧約聖書に記されていることは、神様の厳しくも慈しみ深いエピソードの連続です。
文鮮明師が本当にメシアであれば、救援歴史を導く神様が生きておられるのなら、堕落した統一教会を解体しなければならないのです。

この1年4ヶ月、私は日々目にするあらゆる出来事を啓示のように感じました。
巷の報道を「不当なバッシング」と感じたことはあまりなく、統一教会の偽善と欺瞞が暴露されることを、「天罰」だと喜んでいたのです。

それはさながら、ニネベが滅びる様子を見物しようとする預言者ヨナの心境でした。
神様は途中からニネベを滅ぼされることを思い止まり、最後までニネベを憎むヨナを優しく諭されます(ヨナ4章10-11)。
ニネベは異教徒の街でしたが、王様以下全住民が悔い改めたことで、神の憐れみを得ることができたからです。

私はこの間、知り合いから転送される現役信者のSNSやX(twitter)を観察していました。
離教2世がカミングアウトしてからは、流石に反省の弁もちらほら見かけることもありました。
しかし根底で、「この不当な迫害の先には希望があるはず」という、信仰者としての結束と期待が高まっているのが分かりました。

「不当な迫害」と「外的粛清(天罰)」という二つの捉え方は、神様からご覧になって対極の意味を持ちます。
前者は非の打ちどころのない善人が苦しめられることで、世界に蔓延る悪を代理贖罪する意味があります。
これに対して後者は、神様と契約を結んだ選民がその使命を忘れて、神様から激しい体罰を受けることを意味します。

家庭連合が「非の打ちどころのない善人」ではないことは、一定の良心基準がある食口なら同意頂けると思います。
しかし現役食口は、メディアや全国弁連の不当さを暴き立てることには熱心でも、自らが天の前に恥ずかしくなかったか、内省することから逃げてきました。

外的粛清を実行されたのは神様なのですから、「私は天罰なんて嫌いだ、神様は
もっと愛であるべき…」と拒否したところで、その決定が覆ることはありません(統一教会の解散は神様の決定事項)。
覆る可能性があるとすれば、神様が絶対に許容されない罪を悔い改めて謝罪するしかないのです。

では神様が絶対に許容されない罪とは、具体的に何なのでしょうか。
noteでも何度か記事にしましたが、まとめるとこんな感じです。
・完成期の聖婚式が奉献されないことで、真の父母が完成できなかったこと(地上から取り去られた真の父母)。
・三世代で三大王権を構築すべき真の家庭が、破壊されたこと(文鮮明師が韓鶴子総裁に残した宿題)。
・文鮮明師の存命中に南国統一を完了できず、基元節が未完となったこと(基元節は未完である)。
・これらの罪を隠蔽すべく、神のひとり娘(独生女)を崇めて摂理を逆行させていること(独生女の宗教権威が一人歩きし始めた)。

これに対する現役食口の反論はたくさん聞きましたが、どれも個人の感想の域を越えるものではありませんでした。
繰り返しますが、「こんなの嫌いだ、認めない」と多数決で全員が否決したとしても、最終決定は神様がされます。
自分なりの善にしがみついている食口は(たとえそれが多数派でも)、真の家庭を破壊した罪をどうやって贖うというのでしょうか。

解散請求を回避するために拠って立つ、宗教の自由もここでは無意味です。
祝福家庭は「成婚問答」という契約を結んだ選民であり、独生女という偶像を
崇拝する自由はない
からです。

残念ながらこの間、「神様はお母様を離れておられるのでは」と悟る食口は皆無でした。
私ははじめ公職者が、組織擁護のために(不本意ながら)韓鶴子総裁を崇めているのだと思っていました。
しかしどうやら、公職者も一般食口も心の底から、独生女の権威に心酔しているようなのです。
そうやって「独生女を崇める自由」に執着することが、更なる神様の怒りを招くことが分からないのでしょうか。

私もかつては、韓鶴子総裁が「一時の気の迷い」を悔い改めて、真の家庭として再会されるはずだと期待した時期がありました。
しかしそう願う時期は、既に過ぎたようです。

要塞のように堅固な清平が、独生女教の最後の砦の役目を果たすことでしょう。
側近の横領や資産の売却が噂されていますが、それ程重要なことではありません。
あなた自身が「お母様をお支えする最後の一人になろう」と決意している限り、独生女教は存続するからです。
あなたは成婚問答で、天の前に何をお誓いしたのでしょうか?





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?