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救いは清平ではなく家庭にある:前編

はじめに

お断りしておきますが、私ははじめから清平に懐疑的だったのではありません。
清平の草創期と呼ばれる1996年から繰り返し3泊4日修練会(当時)に参加し、霊障が完治した証もあります。
かつて清平を愛しやがて失望した一食口として、これからの世代に伝える記事を残しておきたいと思いました。

清平は文鮮明師の定めた聖地

昨今の食口にとって、清平は訪れたら幸せになるテーマパークのような場所かもしれません。
霊的に祈り込まれた地、そこに行けば心が神様に通じる、そんな実感を持たれた方もおられるのでしょうか。
そのような聖地としての清平を否定することが、記事の意図ではありません。

この場所は文鮮明師がかつて、木造2階の聖殿を自分の手で建造された歴史的聖地です。
天城旺臨宮殿が建設される前は、木造聖殿がそのまま残されていました。
修練生が増えてからは使われなくなりましたが、文鮮明師は重大な摂理的局面において、ここを繰り返し訪問し祈られたということです。

按手治療と先祖解怨を開拓した霊能者、金孝南

95年以降の清平摂理は、霊能者金孝南たった一人の功績に拠るものです。
金孝南は金明大元総会長の霊の子で、それ以前は天理教の信者だったそうです。
一介の1800双だったので、「洪順愛大母様の再臨」という大役は荷が重かったことでしょう。
初期には、専ら按手(あんしゅ)という霊的な治療が行われていました。
参加者は不妊、アトピー、精神疾患など深刻な問題を抱える食口が多く、イエス様の奇跡を待ち望むような重々しい雰囲気が印象に残っています。
先祖解怨は未だ行われておらず、「身体の中にびっしり入り込んでいる悪霊」を分立することを指導されました。

この辺りは参加者に拠って評価が別れるようで、私のように霊が抜ける実感があってリピートする食口と、馬鹿馬鹿しくて二度と来なくなる食口の、2種類いたようです。
汚い簡易トイレ、プレハブやテントの講堂で不便な生活を強いられましたが、霊的には澄み切っておりたくさんの証がありました。
天使が肉眼で目撃されたり、姉妹の身体に憑依して、本人の意思とは関係なく踊り出すのです。
悪霊に憑依されて修練生がガラスを割るなど、一定の緊張感もありました。

私は当時悩まされた霊障(統合失調症)が役事によって改善したことで、繰り返し渡韓するリピーターとなりました。
先祖解怨がはじまった当初は家庭出発もしてなかったのに、背景に押し出されるように先祖解怨・祝福まで参加したのです。
霊的に超低空飛行だった私がいまあるのは、清平のお陰だと断言します。

先祖解怨がいまのかたちになるまでには紆余曲折あり、霊通した金孝南のメッセージには、説得力がありました。
父母経には、「真の父母様が先祖解怨をした」というように記録されています。
これは金孝南が金銭スキャンダルで更迭された後、「私(金孝南)が」という主語をそのまま置き換えて、文鮮明師のみ言葉であったかの如く改竄したものです。
彼女に言わせれば先祖解怨は「地獄で腐敗臭に耐えながら仕方なくやる汚れ仕事」であって、栄光の真の父母がされるような仕事ではありませんでした。

金孝南の絶大な権力と腐敗

天城旺臨宮殿の建設を皮切りに、プレハブやテントの修練所が次々と様変わりしました。
ぬかるみの土肌が大理石で置き換わったのは便利ではあったものの、草創期の恩恵が失われる感覚もありました。
かつてはその地を訪れること自体が精誠であり恩恵だったのが、「先祖解怨をどこまで進めるか」という手続ばかりが、前面に出るようになりました。

私は「自分自身の特別解怨ができる」と説明された時点で、これ以上深く関わってはいけないと直感しました。
先祖解怨が本当にされているという確信もなく、それ以降は「献金させるための方便」として割り切ることにしたのです。

金孝南もまた変わりました。
清心団地という公共事業の話ばかりするようになり、お金の力で何でもできることに酔っているかのようでした。
大母様記念館(忠義愛館)をソウルの高級住宅地に移転し、兼自宅として豊かに暮らすようになったのです。

2009年のコンプライアンス宣言以降は(違法すれすれの)物販が禁止され、日本からの送金がそれまでと同じようにできなくなりました。
韓国に合法的に大量送金する手段として、先祖解怨の重要性が増したのは自然な流れだったのです。
金孝南一家が、「我が世の春」を謳歌した時期です。

ゴルフ場と芸能事務所などを経営していた金孝南の夫と息子は、この時期から公金横領を糾弾されるようになりました。
夫にも息子にも不倫のスキャンダルがあり、セレブな生活とは裏腹に家庭崩壊していたようです。
そのようなやりたい放題を、ピーター金以下教権勢力が見逃すことはありませんでした。

韓鶴子総裁は金孝南を最後まで庇った

金孝南を讒訴する声がどんどん大きくなる一方で、彼女は簡単には失脚しませんでした。
韓鶴子総裁という最強の後ろ盾に、守られていたからです。
韓鶴子総裁にとって、金孝南は一介の霊能者以上の意味がありました。
母一人娘一人、たった一人の肉親(洪順愛大母様)が他界した後に、再会して話すことのできる霊媒として現れたのです。

韓鶴子総裁と金孝南が一対一の場で、どれだけ親密な会話があったか想像に難くありません。
その信頼は、金孝南の息子を大母様の養子(韓鶴子総裁の弟)として迎える程でした。
挙げ句の果てに、集中治療室で文鮮明師の生命維持装置を外すことまで、「神様の指示」として命令したのです(これがサンクチュアリ教会が出現した強い動機となる)。

韓鶴子総裁は、自分の目の黒いうちは絶対に金孝南を守ると決意してました。
しかし刑事告訴の証拠を並べられ、「あなたも刑務所に行くことになりますよ」と説得され、泣く泣く更迭を承諾したのです。

金孝南更迭後、清平は霊能者不在で運営する

更迭は何の前触れもなかっただけでなく、食口に対してまともな説明がされませんでした。
最側近の李命官は一部の修練生に向けて「金銭スキャンダルがあったので二度と関わるな」と説明したようですが、これはおかしな話です。
「公金は毒だから気をつけなさい」と事あるごとに警告した金孝南が、いったいいつからそうなったのか?
その具体的事実があったとして、以降になされた先祖解怨は無効とはならないのか?

私は直後、「食口もこんな茶番劇には騙されないだろう、ひょっとしたら金孝南の熱狂的なファンが分派を作るのでは?」と予想しました。
ところが驚くことに、食口は何事もなかったかのように更迭を受け入れ、粛々と先祖解怨を続けたのです。
更に呆れたのは、それまで金孝南に忠誠を尽くした李命官と横井稔明の変わり身の速さです。
韓国歴史ドラマのような展開に、ただただ呆れるばかりでした。

普通に考えれば、清平唯一の公認霊能者が更迭されたことは、運営にとって大打撃だったはずです。
先祖解怨に関する金孝南の生々しい証は、それが霊能者不在でなされるような代物ではないことを物語っていました。
すぐにでも霊能力のある二代目大母(訓母)を立てる必要があり、どんな人物が選ばれるか固唾を飲んで見守ったのです。
ところが予想に反して、霊能者を一切立てずに運営を続ける決断がなされたのでした。

後編に続く




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