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彦根に根ざす和洋融合のシンボル 「スミス記念堂」

彦根城の中濠(現・外濠)のほとりにたたずむ和風建築。外観だけを見ると、寺社と間違える人もいるかもしれません。アメリカ人のパーシー・アルメリン・スミスがキリスト教を通じた日米の国際交流を願って、1931年(昭和6年)に彦根城の中濠のほとりに建てた和風礼拝堂、それがスミス記念堂です。

スミス記念堂の保存に至るまで

このスミス記念堂の保存に際して、「近江骨董紀行」を執筆された滋賀大学経済学部の筒井正夫先生(現・名誉教授)にお話しを伺いました。筒井先生は、日本に受け継がれた文化遺産として、骨董、古建築をこよなく愛しておられます。

スミス記念堂は彦根の宮大工・宮川庄助によって施工されました。建築資材には吉野の檜材、瓦には八幡瓦が用いられました。そして、花頭窓・唐破風・門扉・屋根瓦などに彦根城や日本の意匠、キリスト教の文様がふんだんに取り入れられています。

スミス記念堂は金亀山(彦根山)にそびえる彦根城のほぼ正面に位置し、その美しい建築は、彦根の風景に美しく溶け込んでいます。

スミス記念堂の観音扉には、ブドウの蔓が巻き付いた十字架、ハトなどキリスト教ゆかりの文様や、松竹梅など純和風の文様が彫られています。

また、金具や欄干などで和風の意匠の中に西洋の意匠が美しく融合しており、和洋が融合した建築と言えるでしょう。日本における建築史的にも、とても珍しい和風礼拝堂と称されるのもうなずけます。

このように、スミス記念堂は、昭和初期の和風礼拝堂として貴重な建築であるにもかかわらず、平成8年(1996年)、彦根市の道路拡幅工事のため、解体され、他県に売られる計画が進んでいたのでした。

このことを偶然に知った筒井正夫先生は、スミス記念堂が、彦根市の近代文化遺産として歴史的価値の高いものだとすぐに気付かれました。

そして、同学部の森將豪先生(現・名誉教授)の協力を得て、滋賀大学の教職員、学生や地元市民と一緒に保存活動を行う大きな第一歩を踏み出したのです。

同年、「スミス記念堂を彦根に保存する会」が結成され、移築に必要な費用の募金活動、移築先の土地探しが始まりました。その後、小出秀樹氏(現・彦根商工会議所会頭)がメンバーとして加わり、平成15年(2003年)、「NPO法人スミス会議」が発足しました。

彦根市が旧・彦根市立病院看護婦宿舎跡地を移築場所として提供し、10年の歳月を経て、ついに、平成18年(2006年)、スミス記念堂は現在の場所に移築され、その美しい姿をよみがえらせました。

翌年平成19年(2007年)、スミス記念堂は国の登録有形文化財として登録されました。地元市民の熱い想いが、彦根城と対をなすような美しい彦根の大切な文化財が解体される危機から救ったのです。

スミス記念堂の再築には、社寺建築や文化財などの修理・復元を手掛ける株式会社西澤工務店の西澤政男氏が取り組みました。そして、職業や政治的立場などの垣根を超えて、建築家、神社仏閣関係者だけでなく、県会議員、市会議員、新聞社、また、地元企業や商店も保存活動に加わりました。

スミス記念堂が彦根城を仰ぐように今の場所に建っているのは、市民と行政が一体となって、保存活動に取り組んだ成果と言えるでしょう。

スミス記念堂とヴォーリズ建築

パーシー・アルメリン・スミスは明治36年(1903年)に来日し、昭和元年から11年(1926~1936年)まで彦根に滞在しました。当時、彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)の英語教師で、彦根聖愛教会の牧師も務めていました。

スミス記念堂と滋賀大学は、いずれも彦根城の中濠(現・外堀)沿いにあり、徒歩5分の距離にあります。スミスと滋賀大学の不思議な縁を発端に多額の募金が集まり、貴重な和風礼拝堂は見事に守られたのです。

スミスのプロフィールを見ると、昭和初期、同じ時代に滋賀県で活躍したある人が思い浮かびませんか?それは、近江八幡を拠点に活躍した、アメリカ人建築家・ウイリアム・メレル・ヴォーリズです。

スミスの経歴はヴォーリズの経歴と重なって見えます。

ヴォーリズは、滋賀県立商業学校(現・八幡商業高校)に英語教師として来日した後、近江ミッション(近江基督教伝道団)を創設します。そして、京都YMCA会館の新築工事を監理したことが、ヴォーリズ建築事務所につながります。

ヴォーリズ建築は、西洋と日本の建築様式を巧みに取り入れ、風情ある町並みとの美しい調和が評価されています。また、ヴォーリズは、「青い目の近江商人」とも称され、今でも地元で人気がある実業家です。

スミスの彦根への想い

スミスはキリスト教を通じた日米の和合を願って、彦根で和と洋の様式を融合した和風礼拝堂の建設を志しました。スミスの想いと、和洋融合の心に多くの人が感銘を受け、当時、昭和恐慌下であったにもかかわらず、米国や彦根の有志から多大な資金が集まったのです。

当時、スミス記念堂には、地元市民や学生だけなく、アメリカ人や韓国人が集いました。キリスト教の礼拝堂としての役割にとどまらず、簿記や日本語が学べる教室が開かれ、様々な文化活動が行われていました。昭和初期に、彦根で平和的な国際交流が行われていたのです。

昭和初期、彦根と近江八幡、それぞれを拠点として、キリスト教を通じて隣人愛を説き、国際交流を進めたスミスとヴォーリズ。地域に根ざした和洋の文化を取り入れた建築を残した二人に、共通の精神を感じます。

江戸幕府で大老を務めた彦根藩第13代藩主・井伊直弼公は、茶道や和歌などの日本文化を愛するとともに、開国を決断し近代化への扉を開きました。スミス記念堂は、その直弼公の影響をもっとも受けた彦根に建てられたものだからこそ、彦根の風景に美しく溶け込んでいるのではないでしょうか。

その建築は、まさに和の魂を愛し、西洋文化を取り入れた直弼公の精神を象徴しているようです。

彦根の和洋融合のシンボルとして

現在、スミス記念堂は、NPO法人スミス会議のもとで、展示会・講演会・コンサートなど各種文化活動に供されています。令和2年(2020年)には、琵琶湖ビエンナーレの会場として、彦根の歴史的建造物と現代アートの融合に寄与しました。

歴史的風致を活かした彦根の新しいまちづくりは、スミス記念堂の保存活動と共に、始まったと言えるのかもしれません。

彦根の風土と日本の精神を調和させ、日米の国際交流を願ってスミスが建てた和風礼拝堂。これからも、和と洋を融合させてきた彦根のシンボルとして、その役割を担い続けて欲しいと願います。

スミス記念堂
滋賀県彦根市本町3丁目
TEL 0749-24-8781
URL NPO法人スミス会議 https://smith-meeting.com 
内部の見学は予約が必要です。直接お問い合わせください。

(写真・文 若林三都子)