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除湿器の金魚

最近、都心に引っ越しをした。

新宿からもそこそこ近いというのにワンルーム六万以下。いや、安い。理由は築四十年以上増改築を繰り返しそれ以上は追えない。
そして一階。まるで半地下パラサイトと言わんばかりの陽当たりの悪さ。
それ故に入居してから常に湿度計を備えたデジタル時計は七十パーセント以上を維持しており、なんとなくじめっとし呼吸しやすい。

それから数か月後、困った事態になった。
木製の家具、不織布の収納ケースにカビが映えた。これではいけない。
除湿器を買うしかない。そこそこ広い部屋だ、空気も悪い。

ええい。思い立って買ったのは加除湿空気清浄機。五万はした。

メンタルを病んで逃げるように神奈川から越してきた人間には痛すぎる出費だった。それから毎日フル稼働。出勤前にはタイマーをセットし除湿。帰宅すればタンクには並々を水が溜まっている。

そんなある日、不思議なことがおきた。
その日も水を溜め込んだであろうタンクを外し水を捨てようと除湿器に触れた。存在感のある機体は堂々とした佇まいで私を待っている。

すると手を触れる前のタンクからちゃぷん、と水音がしたのだ。
触れていない。重量があり余程の揺れがが無い限り鳴るわけがなかった。
聞き間違いかも。そう思い水音を忘れ再度タンクに手を伸ばす。
するとまたちゃぷん、と音がする。

怖くなったものの、水を捨てなければ除湿器は動かせない。
タンクが満タンだと赤い点滅ランプが知らせているのだから。
意を決してタンクを外しキッチンのシンクへ持っていきプラスティックの蓋を外した。

するとどうだろう。黒い金魚が尾を揺らめかせ優雅に泳いでいたのだ。

最初、見間違いかと思った。いや、埃の塊かなと。

しかし明らかに意志を持って動いているように見えた。
その次は眼精疲労を疑った。元々慣れない事務仕事に最近就いたこともある。疲れが溜まっているのだと思わずにはいられず。その日はなにも視なかったことにして排水溝に水を流した。怖かったのでなんとなく網状のゴミ受けは外した上で一気に捨てた。
その日は二十四時になる前に就寝した。

翌日、その日も除湿器にタイマーをセットして出勤。
へとへとに疲れて帰宅すれば二十時を過ぎており、シャワーを浴び部屋がまた湿気を帯びてきたところで除湿器のタンクへ手を伸ばす。
これを置いてから木製の家具がカビることも無くなっていた。ありがたい。もう無くてはならない存在に昇格していた。

いつもありがとうございます。なんて思いながらタンクを外しシンクへ。
――蓋を開ければ、昨日をは異なり赤い金魚が居た。

さすがに赤いほこりは無いだろうな、と現実を受け入れようとまじまじと金魚を見つめる。
尾ひれが長く美しい金魚に視えた。しかしここは除湿器のタンクの中。
やはり居るわけがないのだ。

受け止めきれるわけもなく、十分悩んでやはり排水溝に流すことにした。
ゴミ受けは外し置いた上で目を瞑ってタンクの中身を空けた。

そんな錯覚を見るのが数日続きいよいよ怖くなってきた私はその日仕事を休んで眼科へ行った。重い病気が眼精疲労が溜まっているかもしれないのだ。しかし、一時間待合室で待った結果、異常はないと診断された。

意気消沈して帰宅すると建物の前大家の女性が立っていた。他の階の住民と井戸端会議かな、と思い軽く会釈をして前を通り過ぎようとしたが、「ちょっといい?」と話し掛けられた。
歳の割にピンクのジャージが似合う大家さんはここでの生活に慣れたか、困っていることは無いかと聞いてくれた実家を離れ、最初の引っ越し先の神奈川でろくに友達もできなかった私は久しぶりに人の優しさに触れ少し目の前がうるっとした。

「そうですね、除湿器のタンクに金魚が発生する以外はなにも」

そう冗談めいて大家さんに伝えた。少し悪ふざけ過ぎるかもしれない。
言った後後悔したが大家さんは、
「そうね、湿気が溜まると出やすいわね」
とさも当たり前でしょと言わんばかりの返答をして、茫然とする私を放って自宅の方へ歩いて行った。

そうか、東京は湿気が溜まると金魚が発生するのか。知らなかった。

しかし生き物、特に魚類が苦手な私はその後も排水溝に捨て続け、合計二十匹を捨てていった頃にやっと良心が芽生えてきた。遅過ぎである。
引っ越し当初、花瓶にしようと意気込んで買うも飾るものもない大きめのビーカーに並々を水道水を注ぎ、その日も除湿器のタンクを外した。
その日泳いでいたのは黒い金魚だった。

触れるのも憚られるのでシリコン製のお玉で金魚を掬い、ビーカーに移してみた。
餌の用意がないから明日買ってこようかな。
名前、付けた方がいいかな。

そんなことを考えながらビーカーの中を泳ぐ金魚を見つめていると、次第に金魚のヒレの動きが悪くなっていった。そうしているうちについに動かなくなり、水面に浮く金魚。

吃驚してそのまま見つめていると金魚はさらさらと水に溶け始め、一分も経たない内に跡形もなく消えてしまった。

「水道水はダメなんだ……?」

結局、幻覚なのか実在したのかよくわかっていない。
翌日には元気に除湿器のタンクを泳ぎ回る赤い金魚を目にしたけれど。

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