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北見市移住日記001「北見市にやってきた」

《独りっきりの旅立ち》

北海道北見市に突然引っ越した。
その目的については、徐々に明かしていこう(にじみ出て来るかもしれない)と思う。

妻の実家への帰省の時に通っているだけで、詳しくは知らない土地で暮らすことになったのだ。知らない土地ということもさることながら、問題は「厳寒の地」だということだな。

皆さんに「これからの北海道はいい季節ですね」「いい時期に行くことになってよかったじゃないですか」と、口々に言われて女満別空港に降り立った当日は「雪」で、気温は「1℃」だった。

ひえ~~~、ボクの心細さのメーターが一気に上がったが、ここで後戻りするわけにはいかない。そそくさとコロコロバックに入れて来たコートを羽織って北見市内行きのバスに乗った。

元々は、しばらく独り暮らしになるボクを見送り勇気づけがてら、暮らしに必要なものの買い出しの応援ということで、妻と娘が一泊で同行する予定になっていたんであるが、再度の緊急事態宣言の初日にあたって「家族連れの旅行はやめようか」というので、一人っきりのスタートになってしまった。

寝慣れているベッドと、仕事用のテーブル(椅子は古くなっていたので処分)だけを東京から送り、あとは全て現地調達という勇ましい決断にこの先ジワジワと後悔することになるとは、薄々感じながらも実感できていない今野誠一であった。

旅だったのは、4月25日(日)なのだが、27日(火)に東京からベッドとテーブルと段ボールの荷物が届くまでホテルにいて、家族で一泊して新しい家を見て買い物をして、夜は焼肉をみんなで食べてと、楽しい夜になるはずが、一人の寂しい夜になった。


《記念すべき最初の夕食》

さて、皆さんに問題!!。
この記念すべき北見市への旅立ち(移住)の最初の夜のディナーで食べたものは何でしょうか?

これはなかなか当たらないと思うなあ・・・。

はい、正解は「モスバーガー」!!。

なんでまた北見市まできてモスバーガーなんだ、ということになるよね?

ずいぶん前からよくしていただいている同郷の大先輩、元モスフードサービス専務の田村茂さんから「モス北見店が近ければ是非寄ってね」と言われていて。言われたから行ったわけじゃないんだけど、このお店はフランチャイズで地元の会社さんの運営でね。

地元に根差した会社さんの知っているお店で、お世話になっている田村茂さんがスーパーバイザー時代に担当していた思い出のお店で初日の食事もいいかなと思って。

5年ほど前に網走の妻の実家に帰省したおり、モス網走店に家族で寄ったことがあってこの時も店長さんに挨拶したんだけど、何とその時の店長さんが今北見店にいるとあらかじめ田村茂さんに聞いていたんだ。

お店に伺うと、そのHさんがいらっしゃって、5年ぶりの感動の再会を果たしたんだな。

彼女のことを覚えているボクもすごいけど、彼女の方がすごいよね。だって、ボクにとっては特別な記憶だけど、彼女の方はその間おびただしいお客様に会っているはずなんでね。

ボクのことを覚えてくれていて、お互いに久々の再会を喜びあって、独りの寂しい旅がちょっとだけ心温まる感じになったんだ。


《2日目の夕食》

ホテル滞在の二日目最後の夜。

明日は新居に入るぞという夜を賑やかにしてくれたのが、地元在住の姪一家である。

一人ぼっちのボクを気遣って、姪夫妻とこの春就職した娘さんが、焼肉につきあってくれるというのである。

北見市と言えば「焼肉」らしい。

姪は本当にいいコなんだなあ。

90歳で独り暮らしをしている義父をたびたび訪問しては、あれこれと世話を焼いてくれている。

本当はボクら夫婦(妻が三姉妹の長女)がやらなくてはならないことを、近くにいて一手に引き受けてくれていたのがこの姪なのである。

その上、独り寂しく最初の夜を迎えるボクを気遣って「一緒にご飯食べましょう」と。

なんていいコなんだ。いやはや泣けてくる。

4人での楽しい焼肉パーティーになったこの夜の食事代は、これまでの感謝とこれからよろしく、という意味で全部ボクがもったのは言うまでもない。ほんとうはこれぐらいでは済まないくらい世話になってるんだけどね。

これから何らかの形で恩返ししなくちゃ。

姪のダンナさんもとってもいい人でね。

「誠一オジサン、何かあったらボクがいつでも駆け付けますから、遠慮なく電話ください」って。洗濯機の設置という具体的なことをとっても気にかけてくれて、色々アドバイスもらったんだけど、ボクにとってはチンプンカンプンでまったく覚えていないけど、その気持ちがとても心に残った。

北見市のことが何もわかっていないボクにとっては本当に心強いご一家である。

あれれ、勇ましく義父に寄り添うつもりで来たのに、このままでは義父に加えてボクも世話になっちゃうではないか。これはもう本末転倒ムシのサンバである。

東京での壮行会でも「くれぐれも自分が介護されるようなことにならないように。気をつけて」というのが激励なのか何なのか分からない、お言をいただいていた。

確かに、気を確かに持って自立しなくてはならない。

この頃、高野慎一さんとやっている「いまのたかの」の『組織ラジオ』で「自律人材の育て方」なんて偉そうに話しているんだけど・・。最も自立(自律と違うけど)が必要なのは自分というわけだ。

何しろ結婚前は独身寮にいて、結婚してからは食器洗いぐらいはした覚えがあるが、家事という家事は一切しないで(妻頼りで)生きてきた自分である。63歳の人生で最も心細い挑戦をしていることを、あまり深く考えないようにして北見市までやってきて、事の重大さを徐々に感じている自分である。

人生の方向性が大きく変わることになって、この先数々の物語が待っている気がしてならない。

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