見出し画像

大嫌いだった、でも、大好きなお父さんへ

今日は父の日ということで、父への想いを綴ります。

私は母との関係にも問題が大アリでしたが、父との関係にも問題が大アリでした。

もう、問題アリだらけだったのです。

昔から、私は「父に愛してもらえていない」と思っていましたが、それは、「父のことを利用しているズルい私は、父に愛される資格はない」という、私の思い込みが創り出していた、ただの幻想でした。

父に愛して欲しかった

私は、子どもの頃から、父のことを、心のなかでバカにしていました。

いま振り返ってみると、それは私の本心ではなくて、母の影響が大きかったと思います。

本当は、父のことが好きという気持ちもあったし、味方もしてあげたかった。

でも、一緒にいる時間が多いのは、断然、母。

母の機嫌を損ねたくない私は、父に甘えることも、懐くこともできませんでした。

仕事が休みの日は、一人でパチンコに行ってしまう父。

その度に、父の文句を言う母。

だから、私は、だんだん、父のことを「お母さんのことも、私のことも、どうだっていいと思っている、悪いヤツ」だと思うようになりました。

なのに、父が働いて稼いでくるお金で、養ってもらっている私。

母と一緒になって、父のことを嫌っているのに、父のことを助けもせず、自分だけ楽をしている、そんなズルい自分は、父に愛される資格はない。

この思い込みが、私の心の深いところ(潜在意識)に刻みこまれました。

数少ない、父との写真👨

そして、私の思い込みに反応するかのように、私が成長するにつれて、父は、外で派手にお金を使うようになりました。

ますます、両親の仲は険悪になり、あぁ、やっぱり私は、父から愛されていないんだと傷つき、父のことを憎みました。

父のせいで、私も、母も苦しいんだ。

父が、もっと母のことを省みてくれていたら、私が母のことを心配したり、気にかけなくても済んだのに。

そうしたら、私はもっと幸せになれたのに。

そうやって、ずっと父のことを憎んで、恨みながらも、でも、父に愛して欲しい。

どうして、父は、私のことを愛してくれないんだろう?

ずーっと、この苦しみの中で、もがいていました。

「私は父に愛される資格はない」と思い込んでいるから、「父に愛されていない」ように見える世界が繰り広げられているだけ、ということにも気がつかずに。

ずっと拗ね続けていた私

反対に、父は、自分に懐かない私に対して、どう接していいか分からなかっただろうし、父も苦しかったと思います。

可愛い娘は、懐いてくれない。
そのうえ、妻からは文句ばかり言われる。

家庭に安らぎを感じられなかった父は、パチンコに行くくらいしか、逃げ道がなかったんでしょう。

父は、東北の、それも秘境のような?田舎で育ちました。

父親=私の祖父から早く離れたくて、高校を卒業して自衛隊へ入り、そこから警察官になった武骨な人。

女の子が喜ぶような可愛いモノを、デパートに買いに行くとか、女性をオシャレなレストランへ連れていくという考えが、そもそも浮かばないタイプ。

でも、子どもの頃の私は、誕生日やクリスマスに、父からプレゼントして欲しかった。

そういうことをしてもらえる友だちが、すごくすごく、羨ましかった。

だから、父からプレゼントをもらえない私は、父に愛されていないんだと、
ずっと、ずっと、大人になってからも拗ね続けていました。

だって、大人になってからも、私のまわりの友達たちは、パパ(=パパ活じゃなくて、本当のお父さん)に、旅行に連れていってもらったり、ブランド品を買ってもらったりしていたんだもん。

***

社会人になって数年経ってから、父と私は絶縁状態になりました。

当時の私は、仕事も恋愛もうまくいかなくて、なにもかも自暴自棄になっていて、それらも、もとはといえば、ぜーんぶお父さんが悪い!お父さんのせい!って思ってました。

母も母で、なにもかもを、父のせいにしていたので、ついに我慢の限界を迎えた父が、家を出ていってしまったのです。

そんな父のことを、ますます許せなかったし、ますます憎んで、もう〇んでしまえばいいのに!と思っていました。

父を憎んだぶん、私と母の共依存はさらに強化されていきました。

でも、そこから数年後が経ったある日。

とあることが起き、私は、絶縁状態だった父に、自分から連絡を入れました。

最初は、お互いにぎこちなかったものの、やはり実の父と娘。だんだんと関係が復活するようになりました。

そのころに、ちょうど、元夫との結婚も決まりました。

父からのプレゼント

父は、私が結婚することで、過去にあった色んなことも清算でき、ようやく落ち着けると思っていたでしょう。

でも、おととし、私が離婚して出戻ってきて。

さらに、昨年の末、今のパートナーと暮らすために出ていったかと思ったら、自己破産の手続きのために、また戻ってきた私。

何が起きても、いつでも、黙って私を迎え入れてくれる父には、感謝しかありません。

愛されていないと思っていたけど、父は、私のことを、ずっと私を愛してくれていた。

父の愛情表現は、子どもの私には分かりにくかったけれど、父からの愛がなければ、私はいま、ここに存在していません。

今年の誕生日も、昔と変わらず、父から私へ、モノとしてのプレゼントを贈ってもらうことはありませんでした。

(もちろん、あの頃のように、プレゼントが欲しいと思わなくなったけれど)

でも、父が、ある言葉を教えてくれました。  

【各個撃破】

敵勢力が分散している機に乗じて、一つ一つ打ち破っていくこと。

もとは、軍隊で使う専門用語?のようです。

「焦らずに、一つ一つ取り組め」

いつも焦りやすくて、慌てやすい私へ、父が贈ってくれた最高のプレゼント🎁

モノはいつか消える、父もいつか消えてしまう。

でも、言葉のプレゼントは、私が死ぬまで、私の心にずっと在り続ける👼

これから先、なにがあっても【各個撃破】を忘れずに、一つ一つ慌てずに取り組んでいくね。

ありがとう、お父さん。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?