自覚の無い疲れの怖さ、実体験


14歳の頃に橋本病になり
それから学校も仕事も行けないほどの
体調不良が長い間続いていました

それも少しずつ安定し
やっと毎日を問題なく
過ごせるようになった頃
調剤薬局で事務補助と
受付の仕事を始めました

といっても4時間が限界で
1日働けても4時間だけ

仕事内容は少しハードで
基本は立ち仕事
あと薬のお届けやお使いはダッシュ
冬でも汗だくで働いていました

それでも一般的な
労働時間と比較すると
すごく少ない勤務時間だと
自覚していました

ですが、1日たった4時間
週に2.3日のバイトで
積み重なった無自覚な疲れが
私を2年間の寝たきり介助生活に
させるとは思っても無かったんです

しかもその片鱗が
見え始めたのが
仕事を初めて3ヶ月後頃から
健康な状態で始めたはずが
体調に異変が出るまでが早かった

10代を療養でほぼ終え
学歴も職歴も無い私は
調剤薬局で仕事を始めたと同時に
早く仕事を覚える為と
次のステップへ進む為に
家では調剤薬局事務の
資格取得の為に
勉強を始めました

働きながら経験を積み
資格を取れば学歴がなくても
正社員になりやすいなと思い
その為に自主的にやっていました

しかし最初に出た症状は
どんどん重くなる生理です
1ヶ月のうち殆どが出血していて
出血している間は熱が出ている
痛みも強く病院に行きました

ピルを処方され
月経をコントロールしましたが
普通の生理日数に戻っても
重さや発熱、痛みは
毎月やってきました

それでも休みの日は
買い出しに行けていたし
とりあえず自炊も
出来ていました

ですがその後
常に風邪を引いているような
状態が続いた為に
個人病院から勧められ
総合病院へ行きました
すると言われたのが
過度な疲労でした

でも自分では本当に
理解が出来なかったんです

それは1日に4時間しか
働けていないことが
ネックでした

一般的な社会人よりも
全然勤務時間は少なく
無理をしないように
普段からちょこちょこ
休むことも意識していました

そこまで重病でもないのに
周りよりも全然やれていない
そんな気持ちが大きくて
医師からの
「もっと身体を休めなさい」
の言葉にも
「十分に休んでます」
と返していました

そのまま日常を続けていくと
今度は気管支喘息になり
最後は線維筋痛症で
歩けなくなってしまいました

年末に救急車で運ばれ
バイトは強制終了

それから実家に帰り
2年間の寝たきり生活
トイレも一人で行けず
ご飯もまずお箸が
プラスチックのスプーンが
重たくて持ち上げられず
一人で食べられず
常に介助が要りました

本当に1日1日が
家族に必死で生かしてもらった
2年間でした

自分じゃ何も出来ないのに
線維筋痛症で全身が激痛
気管支喘息で呼吸が苦しくても
助けてもらえないと
息がしやすい体勢にもなれない

ベッドの脇には
通販で買ったナースコールを
設置し常にそれを使い
家族に補佐して貰いました

家族とも話しましたが
周りと比較してはいけないんです
自分には自分のキャパがあり
出来る範囲はそれぞれ違う

出来る人と比べるのではなく
自分の限界を知り
自分の出来る範囲を知る
それを受け入れ理解しながら
やれることをやっていく

自分は大丈夫なはずなのに
思うように周りと同じことが出来ず
情けなくなったりします
それは頑張れば良いだけだと
気合いだと思っていたんです

でもそうじゃないんです
100やれる人と
同じようにやれず
40しか出来なくても
それを真面目にやっていれば
それは十分に頑張っている

もっと自分を知って
もっと色んな人がいる事を知って

優しい考え方が出来るように
なっていけたらと思います

私の体験談を聞いて
心当たりがある方は
頑張りすぎているかもです
心がぐんぐん前に出てても
身体は置いてけぼりに
なっているかもです

そんな時は周りと
比較するんじゃなくて
自分を見つめ直してみましょう
無理してないですか?
無理していることに
無自覚になってませんか?

たまっていく疲れは
怖いんです

2年の寝たきりを脱した今でも
それから3年経過しても
私は普通の生活に戻れていません
治らない病気を増やし
抱えてしまったけれど

今度はもう少し歩幅に気をつけて
自分の歩幅で歩いていく
少しずつ準備中です

私の体験が
誰かの気づきや助けに
なりますように

疲れという言葉に
ハッとした人がいたら
その人に向けて
なんらかのヒントに
なれていたら幸いです



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