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【ep17】注意欠陥障害の例

人間誰しも、忘れ物をすることがあればついうっかりもある。交通標識が目に入らなかったり、道端の小石に気付かなくてつまずいてしまったりといった経験は、大なり小なり人間ならあってもおかしくはないことだ。

毎日のように起きている交通事故も、本来であればよく気を付けて注意してさえいれば数はずいぶんと減少するはず。2017年11月末の警視庁の交通事故統計によると、この年は年間で3,252件の死亡事故が起こっている。このすべてが注意欠如の特性を持った発達によるものかといえば、決してそうではないだろう。その時の状況によって時に注意力散漫になってしまうのが人間の特性ではないか。

ところが実際の発達の注意欠如には群を抜いた異常性があり、弟もこの傾向がもっとも顕著であった。とにかく忘れるのである。納期も、指示も、ルールも、忘れたら自分が大変な思いをするようなことでさえ、夏空の雨のようにすっかりなかったことになってしまうのだ。

たとえばその弱点を補うために僕は最初、メモを取るのを勧めた。ところがいくらメモを取ってもそのメモを見ることを忘れるものだから、メモを見るためのメモが必要であった。そしてそのメモを見ることすら忘れてしまう。最後には、何のためにメモを見るのかすら忘れてしまう有様である。秘書業務にはもっとも向いていない特性だと僕は見ている(もちろん彼は僕の秘書ではない)。

この特性は実務上で甚だ深刻な問題であったが、日常生活においても十分に支障をきたすものであった。たとえば彼は借り物の車から荷降ろしをして、トランクを閉めるのを忘れてしまう。さらにはサイドブレーキを引くのを忘れるし、車のドアを閉めることも忘れてしまうのである。短期的な健忘症のようなものだ。結果、借り受けた車は駐車場でサイドブレーキが引かれず、トランクとドアが全開のまま放置されるのだ。

注意欠如の特徴としてもう一つ、文字通り注意力が非常に散漫である。典型的な例としては「何もないところでつまずいてケガをする」「信号を無視する」「人や物にぶつかる」などである。この中でもとりわけ「信号を無視する」類は深刻だ。車を運転していて信号を無視したらどうなるか、そのプロセスをノートに書き出して熟考するまでもない。

もちろん業務報告や確認作業においてもその特性は悪影響で、報告内容がでたらめだったり確認がでたらめだったりということが珍しくない。もし彼にこれらの業務をすべて委ねていたなら、顧客やクライアントに荒唐無稽な報告をする結果となり、事業の信用は一瞬で地に落ちるだろう。これはまさにチームや業務を根幹から揺るがす重大な欠陥である。

こうしたことが起こるたび、彼は「あ、忘れてました」という常套句を口にしたが、こちらとしては「忘れてた」では済まされない重大な問題がスタメンレベルで目白押しだから困ったものだ。当の本人も困ったかもしれない。これを障害のせいだと理解しても、実際問題それを受け止めてフォローするというのには限界がある。

そして彼には、そこまでの重大さを認知する能力がない。毎回尻拭いをさせられる人間は、それこそ出口のない暗黒のトンネルに迷い込んだ気分であろう。つまりは絶望である。

解説)

忘れ癖やついうっかりなどは、対策を練れば克服できるものだと私は考えていました。実際それで克服できる軽度なケースもあるかと思います。しかし弟にかんしてはもはやお手上げで、三つを発注すると一つは忘れるといった調子でした。

たとえば「ペットボトルを冷蔵庫にしまっておいて」という発注をした場合、これは

・ペットボトルのフタをしめる
・冷蔵庫を開けて入れる
・冷蔵庫のドアを閉める

──の三つのタスクから成り立っています。

「ペットボトルを冷蔵庫に入れておく」は一つの発注のように見えて、実は三つもしくはそれ以上のタスクを一つにまとめて出しているのです。この場合、弟はペットボトルのフタを閉め忘れたり、冷蔵庫のドアを閉め忘れたりするわけです。

あらゆる業務において確認作業ができないため、それを誰かが代行しなければなりません。こういうことが積み重なり、最終的に私が彼の業務のすべてを代行し、彼を養っている状態に陥りました。

しかしこれは適材適所に難があった問題でもあると考えています。

複数のタスクを同時にこなさなければならない高度な業務でなく、単純作業なら対応できる可能性があるはずです。ただしその場合、将来に期待しながらスキルとキャリアを培い、豊かな未来へ向けてまい進する──といった働き方はできないでしょう。

特性と真摯に向き合うなら、煌びやかな生き方は幻想なのだと割り切るしかないのもまた残酷な現実だと感じます。

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