ESS・アカデミックディベート葬送【②古き良き時代と第一の失恋とパワハラR追放編】
はじめのはじめに
本稿は、辞めたサークル、辞めてないけど嫌々やってるサークル、特に関係はないけど傍から見ててオワコンなサークルの総括論評等をやる「サークル葬送サークル」の活動の一環(というか初活動)として書いた記事である。この記事みたいな活動に興味がある人は私にDMか何かして質問してほしい。
あらすじ
前回「①邂逅と対R先輩闘争と「セオリー」という名の屁理屈編」では、私がESSに入ってから、アカデの難解さに苦しみながらも頑張っているとRにパワハラを受け、「セオリー」という屁理屈とも悪戦苦闘しなければいけなくなるまでの経緯を述べた。いろいろな用語・略語についても前回説明したものが多いので、本稿だけ読んでもらっても全く大丈夫が、用語面で「?」となることがあったら前回を参照してほしい。
本稿は打って変わってヒューマンドラマの話になる。私の失恋談と、先輩Rの暴言、そして追放が繰り広げられる。ぜひお楽しみいただきたい。
一年後期②――Still t'was "good old days"――
熱中
ここまで読めば、私の一年後期のESS生活は地獄か何かのように感じられるだろう。しかし、私にとっては、いま思えばこの時が一番楽しかったのだ。同期の仲はとても良く、試合があらば共に協力して準備していた。土日に行われる試合の日になれば、慣れない環境の中孤軍奮闘し、勝てば喜び、負ければ慰め合う。試合の日の帰り、地下鉄に乗ると涙が頬を伝ったことを覚えている。仲間たちと部活に打ち込む青春が愛おしかったのだ。試合翌日の月曜日、ディベートの疲れから頭がショート状態になり、必修授業に向ったはいいものの、まともに内容が理解できぬまま座った午前11時も今では良い思い出だ。Rの存在も、彼らが「共通の敵」になり、我々の団結を強めた側面もあった――その「仲間」は今は四散し、一人(O)とは失恋、もう一人(I)とは揉めて絶縁状態になってしまったが。※1
※1(24/6/27追記)最近会ったがなんか普通に話せた。
失恋その①――始まり――
そして12月末、ESS生活で一度目――全部で三回ある――の失恋を経験する。その相手というのが、同期のOだ。もう歳月もたち細部まで覚えていないが…時は遡り、少し肌寒くなってきた10月某日。我々はあるオンライン試合に出ることになり、彼女とペアになった。オンラインとはいえ、ペアは同室にいたほうが意思疎通がしやすいということで、どこかの部屋から試合に出ようということになった。私は大学のどこかでやろうと思っていた。しかし、彼女の提案で、彼女の姉が、彼氏と同棲するとか言って引き払ったらしい部屋で落ち合うことになった。試合に打ち込んだり、飯を食べたり、雑談したりした。思えばこの頃から私には彼女に気があったのだろう。
大晦日の名古屋二人旅
時は過ぎ12月30日の朝、私はJR大阪駅の8番線ホームにいた。間もなく敦賀行の新快速が来るはずだ。隣にはOがいた。青春18切符が2枚余ったので、名古屋に日帰りで旅行に行こうと誘ったのだ。新快速に揺られながら彼女の高校時代の話を聞いたり、恋愛観の話をして、行きの2時間半を潰した。
名古屋に着く。空いた腹を地下街の店の味噌かつで満たし、まず熱田神宮へ向かった。お目当ての三種の神器はお目にかかれなかったが、Oが好きらしいニワトリは見ることができた。ニワトリを夢中で見る彼女を私は見ていた。その後名古屋港水族館に向かった。お揃いのイルカのスマホリングを買った。
何分移動時間が長いので、6時頃には名古屋発大垣行の快速に乗り、帰路についた。帰路を彼女は睡眠により潰し、私はあるささやかな計画の思案により潰した――今日告白してしまおうか。今日やらねばもう機会はないとは確信していたが、問題はどこで、どうやるかだ。大阪に着くまではまだまだ時間はある。スマホに「大阪 デートスポット」とか打ち込んでみたりする。高槻に到着するあたりで、ようやく方法論を決めた。あと決めるべきは決心のみだ。
決戦のノースゲートビル11階
大阪駅に着いた後、「夜景を見よう」と言ってノースゲートビル11階の風の広場に行った。「あの建物〇〇じゃない?」「△△見つけた!」――切り出すタイミングと決心のための時間稼ぎに過ぎない、無駄なやり取りを数度交わす。
その後、声を振り絞って告白した。そのために使った文言は覚えていない。まあどうせちょっと回りくどい言い方だったのだろうが。そして、数秒か、それとも数十秒か後に帰ってきた返答は「考えさせてほしい」だった。
人生での最も気まずい15分と結末
多分私は「…そうか」みたいなことを言ったんだと思う。とにかく、とりあえず帰ることにした。同じ方向だったので、共に環状線内回りに乗り込む。沈黙と気まずさが二人の間を支配する。パンクチュアルな日本の電車は数百人の乗客の内の2人の気まずさなど気に留めるはずがないので、定刻通り15分後に天王寺駅に到着する。
しばらく二人で歩くと、ちょうどいい休憩スペースのような場所を見つけた。彼女に来てと言われるがままにそこに行く。にわかに彼女に抱きつかれる。私は硬直して抱き返せなかった。腕が離れた後、「ごめんなさい、今日だけの思い出にさせて」という言葉が聞こえた。そして旅は終わった。
一年後期③――葬送の(される)R先輩――
事件
失恋エピソードが終わったところであるが、それはそれとしてR先輩は滅ぼさなければいけない。そして年明けすぐにその時は訪れる。
何かは忘れたが、年末に(年末年始だろ考えろ)Rからイベントの誘いか何かが来ていた。ただ、その後に「てかもう締め切っているから」と言われたので、参加報告を上げていなかった。すると、「あの件どうなった?」と来たので(「もう締め切っている」とはなんだったのか)、少し強く出ようと思い「特にご報告しなくても良いかと思ったのですが」と返してみた。すると、「なんやねん思ったのですが」と100%パワハラの返答が来た。Rは馬脚を現した。「威圧的な言動はやめろ」と諌めたら返答が来なくなった。
追放
その後、三回生の先輩にこの件で相談した。すると、下のように返事をしてくれた。
ありがとう先輩。今見ても目頭が熱くなる。この後の経緯はわからないが、その後Rが阪大アカデに現れることは二度となかった。ついにRを阪大から追放したのだ。
その後
しかしRはまだアカデ界隈にはしばらく居残り続けることになる。アカデが滅法強いJという(当時)一回生がいた。彼女は、Rとよくつるんでいて、まるでRの「一番弟子」のようだった。阪大追放後、RはJの指導に力を入れるようになる。また、同志社や関学など、(元から関係は強かったが)アカデ強豪の私学に「亡命」し、そこでレクチャーをしたりしていたようだ。彼がジャッジ(審判)を務めたある大会で、彼が自己紹介欄に「阪大にいましたが、今はフリーで楽しくディベートをしています」と書いていたのを見たときの怒りを今でも覚えている。Rがアカデ界隈自体から追放されるには、あと一年ほどを待たなければいけなかった。
次回予告
次回、「③敗北の連続とささやかな抵抗――あるいは黒歴史――とIとの決裂編(仮)」では、ESS部長になった私の2年前期の歩みを追っていく。強豪チームに勝てないアカデの構造上の問題と、硬直しきったアカデ界隈を見て私が企てた――そして後に黒歴史となる――ささやかな抵抗と、「古き良き時代」にはその団結に落涙するほどだった仲間との不和、そして決裂を紹介する。夏休み終わるまでには出せてればいいなあと思っている。次回も乞うご期待。
また、(多分)同時に出す次次回では、二回目の失恋とRの末路を書く予定だ。
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