絵本を読む

とうもろこしおばあさん
秋野和子 再話/秋野亥左牟 画
福音館 1982年

北米ネイティブアメリカンに伝わる穀物の起源をめぐる物語。ネイティブアメリカンの世界観を表現した秋野亥左牟さんによる挿画がすばらしい。図書館にあったので借り出して3歳の娘に読み聞かせた。
見知らぬ土地からやってきた老婆をこの話の主人公である若者は暖かく迎え入れる。老婆はいままで食べたこともないような美味しい食べ物を与えてくれるが、若者は老婆の髪をつかんで地面に引きずり倒して惨殺する。地面に流れた老婆の血から芽が出て、そこからトウモロコシという作物は人々に与えられた。
老婆が死ぬくだりはなかなか衝撃的で大人なら拒否反応を示す人もいるかもしれない。だが3歳の娘は案外平気な顔をして聞いていた。幼子は語られる物語を先入観なく受け入れていくようだ。
ぼくも小学生の頃に学校の図書室でこの絵本を読んだ。印象深い話だった。印象的だったのはこの話の暴力性だが、ただの暴力で終わるのではなく大地は作物という愛を人々に返す。優しさと厳しさという相反する二面性がこの物語のなかでは不思議に矛盾せずに同居している。「どういうことなんだろう?」小学生のぼくは思った。
母なる大地に刃物を入れて傷つけるという農業の本質を北アメリカの原住民たちは理解していたに違いない。そして農業の持つ暴力性をこのような神話にして伝えながら、女神(話の中で明示はされないが老婆は大地の女神である)からの贈り物である穀物を大切に育てながら種をつないだ。
先進国による収奪農法は地球環境を破壊し続けている。そのことを考えるときネイティブアメリカンたちの文化の知恵の大きさを思う。
じつはわが国の「古事記」にもこれとほとんど同じ穀物起源譚がある。物語は演じるものは少し違う。ネイティブアメリカンの若者はスサノオノミコトとなり老婆はトウモロコシではなく五穀を出す。でも殺された老婆の血から作物が生まれて人々に与えられるというくだりは同じなのだ。
旅行好きの友人によると南洋諸島一帯にこれと似た話が分布しているという。おそらく場所によっては女神に与えられるのはタロ芋だったりキャッサバだったりするのだろう。
現代の文化はヨーロッパ人が作ったものだが、それとは別の文化圏がこの世界にはあって、ぼくたちの住むこの日本もまた「西洋とは違う文化」の一端にあるのだ。そんなことまで感じながらこの絵本を読んだ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?