【日本一バカで美しい旅】国道1号踏破 #5 東へ
前回はこちらから。
鹿
鈴鹿峠を淡々と歩く。いつもみたいに、自分の進む道のすぐそばを車が猛スピードで駆け抜けていく。
時折、山を登り切ったマウンテンバイクが反対車線を飛ばしているのと鉢合わせる。
ヘルメットにスポーツウェアを何枚か着込んだ姿をした、重装備の自転車乗りが、ただちんたらと山道を登っていく、ペラペラのジャージに身を包んだ歩行者のことを、純に不思議そうな表情で見つめる。
だから、ちんけな歩行者も、羨望や反駁の念を込めたまなざしをお返ししてやる。
けど、もうそのころ、自転車乗りは下り坂を快調に飛ばして、行ってしまったようだった。
その姿は、まるで、平日のうっ憤をぜんぶ吐き出すような歓声やら怒号やらをいっさい気に留めないで、颯爽とトラックを駆け抜けていく競走馬のようにみえる。
のろまに逆走する、文字どおり鈴鹿峠を往く、ちっぽけな鹿の自分は哀れなやつだろうか?
いつかの、もうひとりの自分なら、その問いに、首を激しく縦に振るだろう。
けど、もうひとりの自分のもうひとりの自分はちがった。
だって、自分はいま、日本一バカな旅をしている、日本一馬鹿な旅人なんだから。
ひざが痛くなって、それこそ、生まれたての小鹿みたいに歩けなくなったってもう止まらない。止まることはできない。止まることはない。
これまでの無計画な3日間で、路頭に迷いかけ、雨に降られ、ひざを壊しながらも、ギリギリでのべ100キロメートル以上を踏破してきた自分は、もはやバカのサラブレットといえるだろう、っていう変な自身さえ身についていた。
古今東西
昼下がりになると、またまた雨が降り始めた。
滋賀から三重へ越えていこうとするまさにそのあたりだ。
せっかくの県境なのに空模様がすっきりしないのも、シビアな現実をそのまま映し出してるようで、でもそれがここだと、その厳しさに負けずにここまでやってこれたことの証明になって、胸があつくなる。
坂を下りきると、いよいよ県境を越え三重県・亀山市へ。
ここら一帯は、関宿といって、むかしの東海道と同じ道らしい。
昔と同じ道を歩いていると思うと、知らないうちにタイムスリップして、そのまま帰れなくなるんじゃないかなんて気がして、二三歩すすんでは、来た道をふりかえるのを何度もくりかえす。
関宿、というだけあって、山を抜けたあたりすぐの目と鼻の先に、行き交う人をくまなく監視している、ながいプラットホームのある駅が現れる。
ふと、そのプラットホームに目をやると、制服をくずした、高校生らしき数人が、何やら楽しそうだから、なんだかまっすぐ見ていられない気持ちになる。
自分のいる世界と彼らがいる世界が、改札口を挟んで、きっぱりと分かれているような気がして、そして、その境界はいくら歩いても歩いても絶対に越えられないような気がして、胸が締め付けられる思いがする。
仮に時間旅行者みたいなのが、未来にはいたとして、いろいろ旅しても、昔にも、今にも、そして、西にも東にも居場所を見つけられなかったら、自分なら、自分のことなんて誰も知らないずっと先の未来へ行きたい。
?
けど、過去でも未来でも変わらないものがある。
こうして、国道1号をただ歩いていくのが、むかしはふつうのことで、今はバカなことで、未来では、もしかしたら、芸術的でうつくしいことになってるかもしれないように、常識は、日々、変わっていくけど、ここを行き交う人ひとりひとりが、高校生みたいに楽しそうにしたり、自分みたいにちょっとブルーになったり、そのこころのかたちは、いろいろ種類はあっても、ずっと変わらない。
むしろ、誰かのこころはずっとその場所に残っていくんじゃないか。
自分のこの、こころのあおいろも、いつか未来の誰かが振り返って、疑問符を頭に浮かべながら、いろいろ想ってくれる時が来るのかもしれない。
そう思えば、なんだか、ブルーな気持ちでいるのもわるくない気さえしてくるから不思議だ。
駅に着くとすっかり、夜もふけていた。
すぐすると、また、いつもみたいに明日がやってくる。
あたりまえだけど、あたりまえだからこそ、その一日一日に点在する、いろいろな気持ちをそっと大事にしたい。
きっとこのこころには疑問符はつかないだろう。
4日目の成果
・踏破ルート 水口道路さつきが丘口交差点(滋賀県)~亀山市羽若町交差点(三重県) ーーーー約 40,300m
・総移動距離 132,300 / 539,300m
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