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「調子に乗ってんじゃねえぞ!」

正しい行いをしているにも関わらず、理不尽にこのような言葉をぶつけてくる人がいます。


違和感を感じませんか?

疑問点がいくつがあるので、ちょっと冷静に考えてみましょう。


言葉を投げた人をA、受け取る側の人をZとします。

なぜ、AはZが調子に乗っていると感じたのでしょう?

なぜ、調子に乗ることがあたかも悪いことのように、強い言葉で押さえつけられなければいけないのでしょう?

そして、調子に乗るということは、調子が良くてその波に乗っているいわゆる「ノリノリ」の状態なので、調子に乗れるなら乗ったほうがいいんです。悪ふざけは論外ですが。




いじめは無くならない。


でも、減らすことは出来る。


大切なのはいじめが起きてしまった後にどう対応するか。


人よりも優位に立つことで自我を保とうとする人は必ずいます。虚勢を張るということは、自分の中の弱さを隠すということ。そのことにその人自身は気付いていない場合が多い。


だから、いじめられた人のケアはもちろん、いじめた人に対して、罰することよりも前に、原因追及のための調査や心理状態を整えるためのカウンセリングなど、クラスから一旦離れて行動改善が出来るまで別カリキュラムで更生を目指す。


それは本人の自己肯定感を高めて自分を愛せるようになるためのものとしてカリキュラムが必要だと思います。


もし、加害者に対して未来ある生徒だと思うなら、なおさら精神的な価値観を変えてあげなければその子に全うな未来はないかもしれない。


もちろん、家庭も巻き込んで、本人だけの責任にしてはいけない。


いじめられた子が、学習機会を失うことも、友達と遊ぶことも失い、人と合うことさえもままならず、人生そのものが狂わされる。

いじめた子は、何食わぬ顔で授業を受け、行きたい学校へ進学し、友達とも遊んでいる。もしかしたらどこかのタイミングで改心し正しく生きているかもしれない。もしかしたら、裏の世界へ進んでしまっているかもしれない。


いじめられた人の


学校で学ぶ権利も生きる権利も平穏な未来も奪ってはいけない


いじめた人の


償う機会を奪ってはいけないし、正しく生きる人権を侵害してはいけない


そのための新たな制度を作ることは出来ないものだろうか。

若しくは子どもの権利条約に追加するのでもいいと思う。

いずれにしても、新たな価値観を生み出していかなければいけないと思う。


前例ならいくらでもある。この国以外には。

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