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嘆きと悔い

今日は私の悔いている心を表現しようと思います。

さっそくですが、私は統合失調症を患っています。
統合失調症を発症する前までは、当たり前に一人で行動でき、当たり前に友達と仲良く話し、当たり前に勉強していました。
そして、当たり前に将来は就職して、結婚して子供を産むんだと思っていました。

統合失調症になると、その当たり前が全て瓦解しました。

まず、友達がいなくなりました。
これは、私自身が統合失調症の発症と治療し始めが不幸にも友達との関わり合いと被って、感情の制御が出来ないことを友達に当たっていました。
つまり、友達に罵詈雑言を吐いていたということです。
そんな私から、友達は「いい加減にして」とか「もうあなたにはうんざり」みたいな様々な言葉を放って私の前から去っていきました。
私は当時、罪意識も何もなく、ただ友達から見捨てられたと思って、友達に憎しみを抱いていました。

次に勉強に困難を覚えました。
統合失調症になっても、私は記憶力だけは良いので、単語を記述するだけのテストなら、満点をほとんど取れていました。
しかし、勉強への意欲・体力・集中力が今までと比べて全くなくなり、卒業論文を書く時期には、卒業前に論文を書くのと、それを全学生、講師の前で発表しなければならないので、心が折れそうで、卒論提出したのは恐らく私が最後でした。

無事、卒論提出後に発表会を終えてからは、私は燃え尽きたようになり、現役での就職を諦め、怠惰に療養生活をしていました。
その療養生活の中で、さらに生活能力が失われ、青信号と赤信号を見間違えるとか、外の音でパニックを起こすとかあり、外出先では一人で行動出来なくなりました。

それからは、時間がたくさんあったので、SNSのゲーム配信に夢中になり、その時まだ仲良くしてくれていた友達からゲーム配信者を紹介され、そこで男性のリスナーさんと仲良くなり、付き合ったこともありました。
諸事情あって別れましたが。

その後、私はキリスト教徒になりました。

自分が一人で行動出来なくなり、病院も変わって遠くなり、困った時に頼ったのは、母でした。
母は毎回、仕事の休みの時に私と一緒に病院に行ったり、病院帰りに一緒にご飯を食べたりもしました。
私の外出にはいつも母がついてくれていました。

しかし、私にも私の思いというのがあって、その頃は必死で自立しようとしていました。
そのことで、家族とのすれ違いは多くなり、喧嘩してしまうことが増えたのです。

関東に交際していた男性がいたので、私はお金が貯まる度に男性のところへ行っていました。
男性は大変な病気を持っていたので、私から彼の元へ行っていたのです。
関東に教会の拠点があったので、礼拝も一緒にしていました。

交際相手と仲良くなり、関東に行きたいという思いが私の中で大きくなればなるほど、家族とのすれ違いはひどくなりました。
その頃はもう機能不全家族と呼んでも良いほどに、です。

そんな時を過ごしているうちに、私の家族に対する当たりはとんでもなく強くなり、一番距離の近い母とはとんでもない喧嘩ばかりしていました。
私は母に大声で反抗して、母はそんな私を見て嘆いて泣いていました。
「こんなはずじゃなかった、どこで間違えたんだろう」というような言葉も母は残しています。

結婚しようと決意し、関東へ行く時も家族と喧嘩しました。
さらに、結婚してからしばらく家族と喧嘩していました。
私は家族が私に何を求めているのか分からず、ただ被害者ぶって塞ぎ込んでいるだけでした。

その時、夫が母の要求を飲もうと行動しました。
すると、母の私への怒りの矛が収まりました。

それから、リアルで礼拝する中で、私がどれだけ人から愛されていたかを知りました。

先述しましたが、母は私の病院にいつもついてきてくれていました。
それだけでも、感謝すべきことだったのです。
母に当たっている場合じゃなかった。
私が症状を出して攻撃的になっただけで、どれだけ母を悲しませていたかが分かりました。

私は礼拝の説教と教会の司牧を通してしか、親への感謝を持てませんでした。
家族の愛情が分かりませんでした。
とても、無理解な人間で、家族にひどいことをしていたかを思い知らされました。
この記事を書いている時でさえ、そのことを思い出すと、涙を流さずにはいられません。

母と和解した後、私は母に礼拝の説教を聞くたびに、説教の感想を送って、感謝と悔いている気持ちを書き続けてきました。
母はとても辛かったけど、分かってくれたんだねと、優しく私に言ってくれました。

そんな私ですが、今は家族にやってきた「ひどいこと」を夫にしてしまっています。
夫に嘆かせてしまっていることをいつも、私はひどいことをした後に、後悔しています。

つい最近になって、ある記録をつけるようになり、自己観察を始めました。
今までは罪咎が赦されることに甘えて、失敗しても振り返ることなく、何も考えずに過ごしていました。
今思うと、どれだけ私が自己中心的で周りの人のことを考えていなかったかを考えてしまいます。

呟きもしましたが、自分自身の「認知の歪み」が自己観察の中で見えてきて、それを修正しようと、人の話をちゃんと聞いたり、良いことにもっと目を向けたいという気持ちが私の中で起こってきました。

自分の体や心の状態を常に観察・分析して、人に負担をかけないようにする。
当たり前にやるべきことを怠っていた私でした。
だから、全く自分を損なうことばかりしていました。

自分はどれだけ人を嘆かせていただろう。
悔いる気持ちがいっぱいです。

最後に、最近読んだ本で印象に残った一文をもじって一言書こうと思います。

———この世界で恵みによる一番大切な贈りもの、主イエス・キリストと、私のただ一人の夫にささげる———

[詩篇 103:1,2]

 わがたましいよ 主をほめたたえよ。
 私のうちにあるすべてのものよ
 聖なる御名をほめたたえよ。
 わがたましいよ 主をほめたたえよ。
 主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

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