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私と統合失調症

私は10年近く、統合失調症と付き合ってきました。

ですが、2023年の今、症状が良くなるどころか、悪くなっていると身近な人から指摘されました。
自分が症状の悪化に気付いたのではなく、他者から言われて、ハッとさせられました。

症状として詳しくは別のnoteに記したいとは思いますが、情緒不安定、他者から注視されている感覚、聴覚過敏、軽躁状態、自己罪悪感...。
細かく挙げたらキリがないです。

何年も病を患ってきて、このザマです。

ですが、これをネガティヴに捉えるのではなく、この病気は私の人格とは別なんだと、キリスト教を信じる中で教えられました。

病とキリスト教についても、また別に書きたいと思っているので、ここでは省きます。
また別の機会に。

ですから、たとえ私が症状を出して苦しんでいても、私自身が悪いのではない。私が悪いことをしたから苦しむのではないのです。

私は中学生の時にいじめを受け、高校から大学の時もずっと蔑まれてきた人間でした。
そして、ずっとそれに耐えてきた。

そして突然、心に限界が来て倒れたのです。

私がとある企業で仕事をしていた時、他に仕事をしていた人が出す物音が自分に対して怒っているから出しているんだと思ったのです。

そして、自己罪悪感、生きているだけで自分が悪いんだという思いが現れました。
その職場に行く電車のホームに立った時、「線路に入ってしまえば楽になれるよ」というようなテレパシーと線路に吸い込まれるような感覚を覚えました。

それから、家に帰って仰向けになって天井をずっと見続けながら涙を流していました。
何日かその状態が続いていて、それを心配した親が「精神科に行こう」と言って、しばらくしてから、「統合失調症」の診断を受けました。

病気を診断されてから、闘病生活が始まり、仕事をせず療養する毎日が続きました。
一時的に症状が良くなったと思って、アルバイトをしたら1年くらいで倒れて、アルバイトを辞めざるを得ませんでした。

そのアルバイトは週2日2時間のアルバイトでした。
たったそれだけで倒れてしまったのです。

その後、障害年金を受給しました。

それから、人生の転機があって、関西から関東にまで引越したのですが、環境の変化で症状が悪化し、今に至ります。

これが私の統合失調症の変遷です。

これを読む方は、精神的にお辛い方が多いかと思います。
読者様方に何か励ましのメッセージを言うという、大それたことは私には出来ません。

ですが、私自身の今まで病気と付き合ってきた思いを綴っていきたいと思います。

これは、皆さまが思っておられることかと思いますが、私は病気を治したいです。
そして、病気に負けたくないです。
大切な人から「病気に負けてほしくない」と言われたからです。
この言葉が無ければ、今の私はいなかっただろうと思います。

私は外では症状がないかのように振る舞っています。
それを見た他の人は私に「元気そう」「病気があるとは思えない」と言われます。
私はその言葉にショックを受けました。

病人は病人らしくしていないと、他の人からは病気だと思ってくれないのか...と
ですが、そんな決まりはありません。
自分は元気でいたいです。
人生は短いし、いきなり終わるかもしれない。
だからこそ、人生を思いっきり楽しみ、明るくいるのです。

だからといって、希死念慮が全くなかったわけではありません。
以前は、とても希死念慮が強くて自害行為に走ろうとしました。

本気で死のうと思っていたからこそ、生きたいという気持ちが強いのです。

Twitterで見てきましたが、闘病アカウントで辛いという方々の気持ちがよく分かります。

実はTwitterは他のSNSと比べて、刺激が強いSNSで精神障害者にはあまりオススメされないという話を聞きました。

ですから今は、辛い思いをしている精神障害当事者の方々、そのご家族の方々に少しでも情報が伝わったり、慰められたり励まされる方がいればと思って、noteで時々闘病生活の話題を書きます。
また、闘病以外のことも徒然と書いていますので興味があれば読んでくだされば嬉しいです☺️

以上が、自己紹介代わりの私の人生の歩みの一部です。
また色々更新していきます。

追記
2024年に入りました。
昨年を思い返して見つけたことが一つあります。
私は症状が現れた時に、「配偶者や教会のこと」を考えると一気に「寛解」したかのような状態になるのです。
薬の量は減ったわけではなく、むしろ他人とのトラブルがあって増えています。微妙に不眠気味でもあります。
ですが、それでも「自分の一番大切な人やもの」を思うと、心の傷も癒えていくのです。
だからこそ、人と関係を持つことは大切だと思いましたし、何より「大切なものを大切にしていく」ことの重要性を知りました。

今年は、もっと元気に過ごしたいですね☺️

2024年2月5日 追記
最近、考えさせられることがあって、私の病気の症状の「他責」は人の心を病ませてしまうほどまでに恐ろしいものだと思わされました。
私自身も辛いけど、もっと辛いのは身近にいる人たち。
だからこそ、自分を赦すことが出来るのはイエス様しかいないのだと思い知りました。

2024年3月22日 追記
先日、母が遠方から私に会いに行くために、わざわざ私の家に訪れてくれました。
その時、私は統合失調症の症状がとてもひどく現れていて、家族とは連絡できない状態でした。

そんな私に母は「連絡がつかないから心配だ」という理由で会いに来て、私の主人としばらく話をし、眠りから覚めた私に近寄って、私の頬を何度も撫でてくれました。
はじめは私は母のその行動に、「どれだけ私のことを心配していたんだ」と思っていたのですが、それは私の誤解で、統合失調症の発症時に母はよく私の頬を手で触れてくれていたということを母自身が語っていました。
つまり、今の私の状態を見て、母が私が一番症状が酷かった時と同じくらい体調が悪いのかと、私のことを心配をしてくれたのです。
本当に統合失調症が発症して一番ひどい時の記憶が私には無く、ただ、家で仰向けに寝て天井を眺めて涙を流していた記憶しか持っていなかったので、愕然としました。

大金をはたいて遠方から、「私に会いたい」という理由だけでこちらに来たこともそうですが、私が統合失調症を発症した時のことを覚えてくれていたこと、主人の話を聞いて私が連絡をとらなかったことを怒るのではなく、心配してくれたことに、とても母の愛を感じました。
その母の愛は、私が信じているイエス・キリストが私に与えてくださった無条件の愛と、とても似ていました。
だから私は、心を動かされました。
改めて、私には親が必要だと思い知らされました。
そして、母と私を取り繋いでくれたのは、私の主人です。母が家に訪れた時は私は眠って休んでいました。母は連絡しなかったことを怒っていましたが、主人が私のことを母に伝えてくれていたのです。
ですから、主人と母には感謝しなければなりません。二人がいなかったら私は今頃どうなっていたのだろうと思います。

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