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依存の中で生きていくこと

この記事を開いた皆さんは「依存」という言葉をどう考えているでしょうか?
「依存」をする人をどう思うでしょうか?

「依存」という言葉を見聞きして、真っ先に思い浮かびそうなのは、「アルコール依存症」「ギャンブル依存症」「他人への依存」等……。

悪いイメージが付きまとう言葉だと思います。

私はつい最近、私のことを昔から知っている人から、あることを言われました。

「あなたは○○さん(私の血縁の人)に似て、他人に依存しないと生きていけない子だからねぇ!」

という風に…笑。

こういうことを言われたら怒る人もいるでしょう。
ですが、私は今、この記事をとても優しい気持ちで書いています。

私は逆に自分のことをよく知る人からこのことを言われて、ホッとしました。
私は今まで自分で頑張ろうとしてきたことを思い知らされたからです。

人に頼るべきところを頼ってきていなかった。
その人と話した時、「そこを本当は頼らなきゃいけなかったんだよ!」と、私が人に頼るべきところを頼れていなかったことを叱責されました。

私はとても甘え下手だったのです。
その人からはこうも言われました。

「いくら頭が良くても、ちゃんと生活しなきゃ意味がないんだからね!」と。

私には頭は使えても、生活能力はありません。
精神障害のせいで、大事な力を失ってしまいました。
今では、自分の置いた物が別の場所に移動しただけで頭の中はパニックになります。
だから、私は下手に物を片付けられません。

だからこそ、人に甘えていきていく、人に「依存」して生きていくことをしなければならなかったのです。

私は生きていくには重すぎる精神障害、統合失調症を患ってしまいました。
一人では生きていくことができない。精神的に支えてくれる人が家族にいないと生きていけない。
最近になって、やっと、そう自覚させられたのです。

聖書には、「人は一人でいるのは良くない」とか、「一人の人はかわいそうだ」と書かれています。

[創世記 2:18]

 また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

[伝道者の書 4:9,10,11,12]

  二人は一人よりもまさっている。
  二人の労苦には、良い報いがあるからだ。
  どちらかが倒れるときには、
  一人がその仲間を起こす。
  倒れても起こしてくれる者のいない
  ひとりぼっちの人はかわいそうだ。
  また、二人が一緒に寝ると温かくなる。
  一人ではどうして温かくなるだろうか。
  一人なら打ち負かされても、
  二人なら立ち向かえる。
  三つ撚りの糸は簡単には切れない。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

私は今までずっと「どうしてこんなにも生きるのが辛いのか、人の力を借りるのに罪意識を感じるのだろうか」と悩んできました。

それは、私自身に問題があったのです。

私は「頼ってきていい、もっと頼ってほしい」と思っている相手に背中を向けていたのです。
自分が何者かを分かっていなかったのです。それはあまりにも愚かなことでした。

だから、「依存していないと生きていけない」というとんでもない一言にハッとさせられたのです。

これからは、相手を思い遣った上でですが、ちゃんと「依存」をして生きていこうと思います。

「依存」には、自分と他の人を大切にして生きていく「良い依存」と、人を傷付ける「悪い依存」があるのです。

将来的には私は一人になるかもしれません。
ですが、私はキリスト教徒です。聖書の神様を信じています。イエス・キリストを信じています。
その神様が、私にあなたを一人にはさせないと約束してくださっています。

[ヨハネの福音書 14:18]

わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

当たり前のように私が一人で生きていくように語りましたが、私は体が弱いです。この体もいつまで持つのか、病気でいつ天に召されてしまうのかは誰にも分かりません。
ですが、精一杯生きていきたい。
だからこそ、助け手に頼るべきです。

自分の持つ「私」のイメージと、人から見られる「私」は違います。
素晴らしい「私」かもしれないし、どうしようもない「私」かもしれない。

それでも、そのことを受け入れられるようになって、とても心が楽になりました。

今は私を見てくれていた人たちに感謝しています。
その人たちのおかげで今の私があるのです。

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