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ある大学教員の仕事

noteで記事を書き始めてすぐ,#はたらくってなんだろう というタグが目に入った.大学教員という仕事は,端的に言えば次の大学教員を育てる仕事だと思っている.にもかかわらず,大卒の人ならば確実に出会った人種のはずなのに案外きちんとどんなことをしているのか知られていない気がする.だから,大学教員の端くれとしての自分の仕事を書いてみよう.

ある大学教員の1日

僕は裁量労働制という打刻もない代わりに残業代もないという制度で働いている.1日何分働いても給料は同じという仕組みだ(休日手当はある).だから,正直何時に出勤してもいいのだが,妻の出勤に合わせて9時半ごろに大学に着く.

着いたらまずはメールチェック.急ぎのメールから迷惑メールまでたくさんのメールが来るので,返信が必要なメールにメールを返す.

そこから自分のその日やろうと思った仕事をする.〆切に追われることもあるが基本的に自分のやることは自分で決めることができる.だからぼーっとしていると,何もせずに1日が終わる.仕事がノッている時でも,学生,急ぎの用事がある教授,暇を持て余した教授,などの襲来を受けて,ほとんど仕事にならないこともある.

僕は結婚してから大学教員になったので,基本的に18時半ごろには退勤するが,独身だったら多分夜遅くまで大学にいると思う.どうせ家にいてもやることはあまり変わらないから.

こうして,大学教員の1日が終わる,と見せかけて,家に帰ってからも学生から添削をお願いされるとつい対応してしまう.学生の研究の流れを僕のところで止めたくないから.
あとは四六時中,頭のどっかで研究のことは考えてる.
というわけで,大学教員の1日は仕事とプライベートの隔てをつけづらいままいつのまにか終わる.

ある大学教員の1週間

月曜日 好きな研究を仕事にしているんだからいいね,と思われそうだが,僕は月曜日なんて来なければいいのにといつも思っている.研究は好きだけど,めんどくさい時はめんどくさい.
火曜日 仕事をこなして終わる.
水曜日 ノー残業デーとかいう概念は無い.
木曜日 1週間何もしなかった,という焦りからなんとか何かを生産しようとするも大概何も生み出せない.
金曜日 大学教員にも華金の概念はある.嬉しい.
土曜日・日曜日 休日.寝てたら終わる.

ある大学教員の1年

4月 年度始め,出会いの季節,どんな4年生が研究室にくるのか,指導教員として僕を選んでくれる学生は来るのか,ドキドキする.
5月 僕の分野では大きな学会があるので,いろんな人とお酒を飲むついでに,学会発表をする.
6月 フィールドワークが始まり出張続きになる.講義準備の貯金が尽きて,講義準備とフィールドワーク準備で大忙しになる.
7月 6月の忙しさが加速し,学生はほぼ僕を捕まえられず,僕は死にかけている.
8月 夏休み?大学教員にそんなものはない.相変わらず,フィールドワークに出かけている.
9月 卒論中間発表の準備を疎かにしている4年生に発破をかけつつ,冬籠りの準備をする.
10月 「科研費」という名の研究資金争奪戦のための書類作りに追われる.大概,「科研費がかけんひ」というツイートをしている.
11月 秋の学会があるので,地方で美味しいものを食べ,飲む.ついでに,学会発表をする.
12月 そろそろ卒論のファイルを作れよ!と4年生に言い,卒論をどうやって終わらせようか頭を悩ませる.
1月 卒論指導による添削地獄.
2月 卒論指導が終わり冬休み?いえ,研究します,来期の講義の準備します.
3月 年度末.さまざまな報告書作成に追われ,1年間の自分の怠惰を呪う.

結局,僕にとって「はたらくってなんだろう」

1日,1週間,1年間を通して見ると,基本的にはたらきたくないように見える.正解.働かなくていいよと言われれば一瞬嬉しいかもしれない.でも,大学時代,練習がきつい,なんでこんなことやってるんだと思った部活がオフに入った時,1週間でやることが無くなって飽きて練習したいなあと思った時と同じように,結局はたらきたいと思うのだろう.でもそれは,今の仕事が楽しいと思える瞬間があり,好きだと思える気持ちがあるからだろう.これはとっても幸せなことだ.ただ,仕事が僕のすべてかと言われるとすべてではない.もし本当に仕事を取り上げられたらまた次の何かを見つけるのだろう.

結局,僕にとって「はたらく」とは,『辛いこともあり,やりたくないこともあるけど,QOLをあげてくれる大事な要素の一つ』なんだと思う.