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台湾旅行⑦ 二日目 銀河街夜市


 昔から夜市という言葉が好きだ。

 夜に開かれる市。夜市。それだけで何か特別な、少しの恐怖と好奇心がないまぜになったような響きがする。

 しかしながらこれまでに実際の夜市に行ったことがあるかといえば一度もなく、強いていうなら夏祭りの際出店をひやかした事があるくらいだ。
 よって私の中の夜市のイメージは、今まで見聞きした本や映画からの情報のみで構築されているといっていい。

 真っ暗な闇の中に、橙色の薄明かりと共に通りの両側を隙間無く埋め尽くす店々がぼんやりと浮かび上がっている。通りは往来する人々の異国語での楽しそうな語らいの言葉と活気で満たされ、隣を歩く者との会話ですら、声を張らねば聞き取れないほどだ。
 店先ではこんがりと焼けた子豚や湯気立ち上る点心の数々が売られており、道行く人の多くはその食欲をそそる香りに思わず足を止め、大声で店主と値段の交渉を行っている。お目当てのものを買うと、紙でくるまれたその肉汁がこぼれぬよう、半ば火傷するように食べながら歩を進める。
 通りをさらに進むと真贋の定かでない色鮮やかなたくさんの石を老婆が売っており、時折人が立ち止まっては物珍しそうにのぞいていく。
 角を曲がったところを見遣ると、見せ物小屋だろうか、店の周囲をぐるりと暗幕で覆った建物が暗闇に溶け込んでひっそりと佇んでいる。時折中から驚きの声があがっているが、何が行われているのかは定かではない。
 小屋の周りの路沿いには洗い晒しの簡素な木の長机が置いてあり、歯のほとんどない老人やよれた服を身にまとった強面の中年男性など、職業不詳のうらぶれた人々がたむろしている。長机の上には伏せた陶器のコップが置いてあり、カラカラと中で何かを転がすような音がしている。
 これはきっと、コップの中の二つのさいころの大きさを当てる中国の賭事、「大小」だろう。賭にかったらしき老人が、歯のない口でにたりと笑うと、節だった指で机の上の掛け金を寄せ集めた。足元の陰はオレンジ色の街頭に照らされ細く長く延び、周囲の建物の陰にとけ込んでいる。時たま遠くから聞こえるどよめきや、一定の間隔をおいてカラカラとなるサイコロの音を耳にしていると、酒も飲んでいないのに酩酊した様な心持になってくる。なんだか以前にも訪れたことがあるような、それでいて台湾よりも、もっとずっと遠い場所へ来てしまったみたいだ。

 っとまぁ、つまりそんな感じの場所だろうと思っていた。そこで私は、熱々の焼き豚にかぶりついて甘辛いタレでパリパリに焼けた皮を咀嚼しながら通りを冷やかし、偽物か本物かいまいち分からないとろりとした色合いの翡翠を買い、勇気がでるなら見せ物小屋に入ったうえに大小にも参加しようと心密かにもくろんでいた。
 控えめにいってべらぼうに楽しみにしていたのだ。

 そんな期待を胸にたどり着いた銀河街夜市は、夜市が開かれていると思われる通りのずっと手前から、多くの人でごったがえしていた。もはやどのあたりからが夜市の通りなのかすらよく分からない。すごい活気だ。

 ようやく人波をかき分け通りにたどり着くと、電飾によってビカビカに輝く看板が私たちを出迎えた。この下品とも思われてしまいそうなほどの派手さ、歌舞伎町を思い出さずにはいられない・・・。ともあれざわめく人混みとド派手な看板で気分は最高潮、いかにも夜の市という感じだ。

 勢いそのまま、意気揚々と進む私達の目に、真っ先に飛び込んできたのはブラジャーだった。

 えっ・・・?と思った。

 今思い返してもえっ・・・?と思わずにはいられない。

 なぜだか分からないが、結構な人混み、その砂埃たちまくる路上に面して、ブラジャーやらの下着類、そしてペラペラのTシャツ等を売る店が点在していたのだ。

 なんでまたこんなところで・・・。ぜったい衛生面悪いよな。そもそもこんな公衆の面前で下着を買い求める人はいるのか?

 困惑する心を置いて、目には次々と立ち並ぶ店の様子が飛び込んでくる。台湾の百円ショップと思しき店やポケモンから覇気を抜き取ったようなキャラクターのクレーンゲームが大量にあるゲーセン、三百円ショップにありそうな一目で大量生産品と分かるアクセサリーを山と積みタバコをふかすおばちゃん、そしてずいぶん前に焼かれ、今や気温以上にしっとりと冷えきっているであろう豚の丸焼き・・・。 

 一瞬で分かった。分かってしまった。この夜市を縦断するまでもなく、恐らくこの中に私が求める店は一件たりとて無いであろうということが。

 たたき売られているジャージ、プラスチックの容器に盛られたざっとした炒め物、それを笑顔で買い求める地元の人々。

 爆発的な生活感。そして現代的な健全さ。それがここにあるものの全てだ。私が求めていたどこか後ろ暗い神秘性や怪しさとはほぼほぼ対極にあると言っていい。

 またしても勝手に高すぎるハードルを設えてそして勝手に失望してしまったようだな・・・白菜の悲劇再び。

 心の中でそうひとりごちつつ店店を見流すその横で、友人も同じくどこにも立ち寄ることなく黙々と通りを進んでいた。見れば真顔のままハンカチで鼻と口を覆っている。とてもじゃないが夜市をひやかす時の体勢ではない。避難訓練の時の体勢だ。

 というのも実はこの夜市にもまた、台湾の人々に大人気!のメニュー、臭豆腐の店が点在しまくっており、辺りにはまたしても臭豆腐独特の臭いが立ちこめまくっているのだ。いい加減対応が面倒臭くなったので友人の不調は見て見ぬふりをしていたのだが、親戚が死んだような表情を浮かべ続けているところから察するに、相当堪えているようだ。

 ここはどちらかというと、地元の人が日々の夕飯をすませ、観光客はそれに混じってB級グルメを楽しみ、気が向いたらチープな面白台湾土産を買うための場所なのだな。地元の商店街が夜も開いているというだけにすぎないのだな。通りを半ば以上過ぎたところでそう結論づけるも、私達にできることは何もない。こんな臭豆腐臭立ちこめる場所で、ひとり葬式を開いている友人と食事をとるだなんて完全に自殺行為だ。

 それ以前に、実はこの夜市を訪れる寸前に中華料理屋で比喩ではなくテーブルに載らないほどの量の食事を平らげてきているのだ。朝からろくに何も食べていなかった分、パンチの効いたうまみが身に染みた。自分自身がフォアグラになるほどの食事を終えた私達に、道行く露店の食べ物が魅力的に映ろうはずもない。計画性のなさが光る一幕だ。

 そんななか、道行く途中で胡椒餅屋を発見した。胡椒餅とは、もちもちとした皮の中にピリリと胡椒の利いた肉の餡がぎっしりと詰まっているという台湾名物だ。熱した石の壺のようなものに胡椒餅を貼り付け、外側がカリッと焼けて全体がぷっくり膨らんできた頃に壺から剥がし客に提供している。皮はカリカリで香ばしく、中は胡椒のきいた肉餡がジューシーでさぞかし美味しいだろう。実はこの一品、日本にいるときにガイドブックで見て以来、是非とも食べたいと思っていたものなのだ。

 けれども、この夜市唯一といっていいほどの観光客向けメニューを取り扱うこの店に日本人観光客が殺到しており、そこにだけ長い行列を作っている様子を見ると、不思議なほどに餅への情熱が冷めた。「みんなガイドブックと資本主義に踊らされている!」と、唐突に失望をしたのだ。

 そもそもガイドブックに踊らされて台湾旅行を決めたと言っても過言ではない程どっぷり浸かっていたはずなのに、なぜ急に学生運動に酔う学生さながらに資本主義を全否定しだしたのか、あの時の自分の気持ちが自分でも分からない。なぜあんなに美味しそうな餅を謎の理念のもと食べなかったのか。そもそも失望するほどに資本主義の仕組みを理解しているのか。疑問は尽きない。  
 これはもう、離婚間際の夫婦と同じだ。もはや気持ちが冷めきっているため、なにかにつけて難癖を付けたい段階に達しているのだ。  

 きっと疲れているのよ。なにせ朝から変身写真に故宮博物院に龍山寺と、めちゃめちゃなハードスケジュールをこなしてきたのだから。そりゃぁ感受性も鈍ろうというものだ。こんな中無理して出歩いてもいいことはない。もうホテルに帰ろう。
 そう結論づけた私達は、コンビニでスイカ牛乳という謎の飲み物だけを買い求めると、通りを流れるタクシーを呼び止めた。このタクシーがホテルには向かわない事となるとはつゆ知らず。台湾二日目の夜は、まだまだ長い。

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