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【17歳。私の生き方】

皆さんはじめまして!
SDGsを広めるアイドルCoCoLo♡RiPPLe(ココロリップル)として活動している、〝佐倉 春来(さくら はるく)〟自然と、生き物と、畑が大好きな現在17歳の高校2年生です。
自分の考えを整理し、さくらはるくという人間を自分で理解するために今日からnoteを始めようと思います。




今日この頃

皆さん、クリスマスを楽しんでいるでしょうか?
サンタさんは来るかな?来たかな?
1年間必死でがんばってきた皆さんには、きっと素敵なプレゼントが届くはずです。

街がきらきらと輝く時期に私はアイドルになってから1番の苦境に立っています。
昨日、2年間一緒に頑張ってきたメンバー2人がグループを卒業したのです。

ココロリップルは2021年11月3日に結成された7人組のグループでした。
ですが、時間が経つにつれ一人またひとりとメンバーが減っていったのです。

皆、自分の新たな目標に向かって進んでいきました。不安や悲しみがこみ上げる中、心のどこかで自分のやりたいことをしっかりとわかっているメンバーを羨ましく思ったこともあったんだと今になって思います。

そして、2023年12月25日。
私は1人になりました。

7人から1人。
まさか、1人きりになるとは思ってもいませんでした。
これから先どうなっていくんだろう。こんな考えが毎日頭をよぎります。

私のアイドルとしての一番の目標は「さいたまスーパーアリーナ」でライブをすることです。
無理だろうと思う人が多いと思います。でも、私は結構本気で行きたいんです。

だからこそ、これからの活動が重要になってきます。

そもそも、なぜ私が世の中でほぼ初めてと言っていい"SDGsアイドル"になったのか…


地球温暖化との出会い


私が小学校低学年のある日。テレビを見ていた私の目に飛び込んで来たのは、地球温暖化が進んだ未来の地球のCG映像でした。
その映像は当時の私に衝撃を与え、その日の夜から私は毎日怯えていました。

"地球が熱くなりすぎて生きていけなくなったらどうしよう" 
"食料がなくなって食べられなくなったらどうしよう"

毎晩寝る前にあの映像が頭に浮かんで寝付けませんでした。


時は流れ、中学1年生の2020年3月。新型コロナウイルスが流行しだし、学校が休校となりました。
誰もが初めての経験で常に周りの人が、空気が、ピリついていました。
そのせいかもしれません。私は何年も忘れていた地球温暖化の映像を寝る寸前に思い出し、また恐怖が襲ってきたのです。

私は迷いました。この恐怖を忘れたい。でもどうしたらいいのだろう。考えても考えても答えが出ず、限界を迎えた私は祖父に相談しました。


祖父の教え


孫の私が言うのもおかしな話かもしれませんが、祖父は博識高い人です。何かを聞けば必ず返ってくる。人間辞書のようです。
そんな祖父に怖いというこの気持ちをどうしたらよいのかと私は聞きました。返ってきた言葉は、その後の私の生き方に大きく影響を与えました。

「何かが怖いのは、相手をよく知らないからだ」

そう言って、祖父は私を市営の図書館に連れていき、地球温暖化についてわかりやすく4冊にまとまっている本を借りさせました。これは、生まれて初めて私が"地球温暖化に立ち向かった"ときでした。

私はこれまで、地球温暖化をよく知ることを避けていました。それは、深く知ることにより余計怖くなってしまうのではないかと思っていたからです。しかし、実態をよく知らなければ立ち向かい改善することはできず、ただ恐怖に怯えて人生を過ごすことになってしまったかもしれません。

私が今、"地球温暖化"という見えない強敵相手に怯まず向き合えているのは祖父の存在がとても大きかったのです。


ただ怯える少女から、たたかうSDGsアイドルに


現状を知り、なんとかしなくては。でも、どうしたらいいの?と何も行動できていない自分に歯がゆさ、不甲斐なさを感じていました。

2021年6月、ずっと"女優さんになりたい"という夢を持ち続けていた私は、女優オーディションをSNSで探していました。そこで見つけたのが、「SDGsアイドル募集」というものでした。私はSDGsという言葉にとても興味を惹かれたのです。そして、そこに綴られていた言葉。私はそれを見てSDGsアイドルになろうと決心しました。
【今この地球の状況、なんとかしなければいけない事実、どうしたら皆が行動を始めることができるのか。私達は"エンタメ"という力を使ってSDGsの認知拡大に貢献したい】という現在、私が所属している映像制作会社千代田ラフトからのメッセージでした。

このオーディションを受けるにあたって私は様々な覚悟をすることになりました。

私は正直、ずっとアイドルになりたかった訳ではありませんでした。どちらかといえば女優さんになりたかった。しかし、自らアイドルになる道を選べば自分のやりたい"演技"というお仕事は暫くの間することができないかもしれない。

母は女手一つで兄と私を育ててくれました。そのため生まれてから中学1年生まで母方の祖父母と一緒に暮らしていました。
祖父母と暮らさなくなってからも、毎日毎日祖父母の家に通いました。私は祖父母が大好きなのです。
新型コロナウイルスが流行している最中、高齢の祖父母に万が一があってはいけない。東京に行くということは、祖父母の家に行けなくなる。私にとって祖父母の存在は計り知れないほど大きくて、会えなくなるというのは本当に辛いことでした。

もしオーディションに受かったら会社と契約を交わし、社会で生きるということ。これにはどうしたって"責任" というものがついてきます。
当時、まだ中学3年生だった私には自分にそんな事ができるのか何度も考えました。中途半端は許されない。もし途中で音を上げてしまえば誰か人に迷惑をかけることになる。その覚悟があるのかと何度も何度も自分に問いかけました。

・ずっと持ち続けていた夢はすぐには挑戦できなくなる覚悟

・大好きな祖父母に会えなくなる覚悟

・最後までやり切る覚悟

こんなにも大きな選択、それでも「やりたい」と私は思ったのです。


ひとりになっても


今日、私はSDGsアイドルココロリップル最後のメンバーとなりました。

この2年色んなことがありました。

いろんな景色を見て、いろんな経験をした。辛いことも、苦しいこともあったけど、きっと人生その方が面白いよね!
来年はどんな一年になるかなぁって毎日考えるの。こんなことしたい。こんな自分になりたい。そこには必ず私の思いを受け取ってくれるレシーバー(ファンの皆さん)のみんながいて。
始まりはSDGsを伝えたいという気持でアイドルになったけど、今はアーティストとして沢山の人に元気や生きる勇気を、おこがましいけど与えられるようになりたい。【さいたまスーパーアリーナに立つその日まで】私は一直線に走り続けます!

とても長くなってしまいましたが、さくらはるくとしてこれからnoteにちょくちょく投稿していきたいと思っているので、気が向いたときに見てみてください☺️


それでは皆様、Merry Christmas✨
良いお年を。


2023.12.25 さくらはるく



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