最近母親との接し方がわからない。
母親はもう60を超えている。
母親の教養レベルが私より遥かに下回っていることに
電話の度に気づき、イライラしがっかりしてしまう。
自分の親なのだから尊敬していたいし、頼りたい。
なんで私が知識を教えなきゃいけないのだろう。と思ってしまうし
どうして自分がこんなに社会で生きづらかった原因が理解できてきてしまう。
親の教養があるかないかによって子供の生き方がかなり左右されるからだ。

「お金が無いから大学には行かせられない。」
教養、知識の無い親ならきっとこのようにだけ思うだろう。
実際には世界には無料で卒業までできる大学だってあるし、支援機関だってこの世の中にはごまんとある。知識で子供の人生は180度変わる。

田舎では25を過ぎたらもうばばあだよと女の子はみんな言っていた。
そりゃあそんな年齢からババアなんて言っていたら60の女性は新しいことなんて
学ぶ意欲もないだろう。そんな田舎が嫌いだった。
ただ周りに合わせて嫌なことでも疑問を抱かずにそのまま社会の流れのまま進む。
そんな田舎が嫌だったから東京に出て、海外に出てきた。

そんな過去を嫌でも思い出してしまうのが母親との電話。
私のルーツを線香の強い香りを辿るように思い出す。私のルーツは閉鎖的な環境の田舎で変えられないのだと。

電話が終わるたびに自分に対してひどい嫌悪を抱く。ひどい態度をとった、と。
母親の電話がかかってくるたびにようやく逃れてきた故郷のしがらみを思い出す
蜘蛛の糸のように絡まってベタついて離れない、そんなところから私はそこから出てきた。
その環境で文句を言いながら何も行動しない母親からの電話に出るのが重い。
自分が嫌だ、なりたくないと思っていた状況にいるのがまさに母親の立場だ。
なんて最低な子供なんだろう。
母親のようになりたくないなんて。
母のことは大好きだ。だけど、環境に従い、流れていく、流れていくしかなかった母を嫌悪してしまう。
仕方ないの連続で自分の意思を消して息を潜めて生きていく道を選んだ母と話すのがつらい。

こうしっかりと区別し他人だと思えばここまで辛く無いのかもしれない。
けれど、母は私の体の分身のように近い存在で、しっかりと生きてほしいし
私が考えているように同じ方向と考えが同じ方向を向いていてほしかっただけなんだ。

自分がなりたくないのが母親なんてなんてつらいんだろう

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