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アセクシュアルによるアセクシュアル考察

※この記事は自称アセクシュアルの私が、アセクシュアルとは何ぞやろということについて「無根拠」に「無責任」に考察している無意味の産物である。

まず、私の理解として、広義のアセクシュアルにはアロマンティックと狭義のアセクシュアルが含まれていて、アロマンティックは恋愛感情がなく他者との性的接触欲求がない、アセクシュアルは恋愛感情はあるが他者との性的接触欲求はないという理解をしている。→正しいだろうか?間違っていたらすまん…

ここの知識すら曖昧である当方がこのような記事を書くのは極めて無謀で、無意識に差別的発言をしていたらと思うと申し訳ないので、「あー、こいつ無知でバカなんだなーww」と温かい目で受容できない人は、読まない方が良い。ブラウザバック・プリーズ♡

私は広義でのアセクシュアルで、たぶんアロマンティック寄りだ。恋愛感情は一切なく、恋愛について全く理解できないが、性行為に興味を持ったことはある。しかし具体的に誰か特定の人と「セックスしたい!」と思うのではなく、漠然と「経験としてやっときたいなー、性欲もあるし」程度の感情。だからより詳しく言うと、アロマンティック・アセクシュアル(仮)となるのだろう。

前提条件、提示終了。次、本題。

まず結論として、アセクシュアルの原因として私が疑っているのは2つあり、1つは人間の自然排除が自己の感情や他者との人間関係にまで及んでいるということ、2つ目は脳の機能不全、である。

1つ目、養老猛司氏の唱える人間の自然排除が、自己の感情や他者との人間関係にまで及んでいるという可能性である。

恋愛感情というのは嫉妬や他者排斥欲求など、非理性的な感情が取り巻く原始的で肉体的で非合理的、つまり自然的欲求である、と考えることができる。また恋愛とは人間同士の接触や生殖に関わり、普段は頭脳をもって合理的に動く現代社会の人間たちに残された数少ない肉体的に動く行為である。

それを前提に、養老さんの「人間はますます都市化し、自然を排除している」という主張を信じると、自分の中にある性的欲求や恋愛感情という「動物的」で「自然的」な行為である恋愛は、都市化を目指す人間にとって邪魔な感情であり存在なのではないか、と考えることができる。

恋愛とは自己や他者の野性性・自然性・動物性を受容することであり、無意識的に動物的な他者や自己に嫌悪したり違和感をもったりするほど都市化した人間は、自然と恋愛できなくなってしまうのではないか、という考えである。つまり、アセクシュアルは個人や社会の思想によって恋愛不能に陥るという後天的要因である、と結論付けていることになる。

これを裏付けるには、自然との接触の少ない都市部において全人口におけるアセクシュアルの割合が多くなる、ということや、生まれたばかりで特定の思想に行動が制限されない幼児期におけるアセクシュアルの割合が、大人におけるそれよりも割合的に低いまたは0であるという結果など、何らかの社会的調査が必要になるが、そもそも恋愛と性的欲求は主観による判断になるので、正確な調査が難しいという点が問題となる。調査求!


2つ目、恋愛する際に使用する脳の機能が低下している、脳の機能不全の可能性である。

人間は、論理的思考や生理的反応、運動などの異なる活動を行う際に、脳内における異なる領域を働かせることは周知の事実である。

例えば脳の一部を損傷すると、すべての体の機能がストップするのではなく、右半身のみ、や腕のみ、など部分的に障害が残るケースがある。

そのように、生まれつきか、後天的に何らかの要因や遺伝子的欠陥によって、恋愛をおこなう際に働く脳の機能に障害が生じた場合、脳の機能不全が原因で恋愛や性行為ができなくなってしまうのではないか。

機能不全の原因は遺伝的、つまり先天的なものかもしれないし、過度なストレスが原因となるなどの後天的なものかもしれない。


よくある反論への反論

①モテないから、恋愛しないって逆張りしてんだろ?www
→私に限ってはありうる。しかし、それだとアセクシュアルの説明がつかんのだわ…

アセクシュアルは先ほども述べたように、恋愛感情はあるのである。だから一部のアセクシュアルは普通に他人と付き合っているし恋愛をしている。
だからモテない奴らの負け惜しみ=アセクシュアル論は、ここについて何か反論を持ち出さないと有効な攻撃になりえないんです。

まあね、私(不透明)に関して言うと、おしゃれしても渋谷や新宿でナンパされた経験1回だけ(それも私が顔上げたとたん相手絶望的なうめき声上げましたからねw)という絶望的面構えと、友達いない歴=年齢の致命的性格の悪さが関係して、そもそも人間関係不全なもんですから、案外イケメソと付き合える身分だったらコロッと恋愛至上主義なんかにもなっている可能性はあるんですがwww

②1回経験してみたら?理想化しすぎてるだけだよ。
→いや、これも付き合っているけどセックスどうしてもできないアセクシュアルや、一回付き合ってから「あ、ちげーな」って気づいたアロマンティックに対する説明がついてないんですよ。次!

➂そもそも恋愛ってあるの?恋愛感情と言われているのはただの性欲の発露であって、恋愛感情なんて思い込みに過ぎないんじゃね?
→わかるーー。島田雅彦氏の「哲学散歩」では「吟遊詩人が恋愛を発明した」とあった。どういう意味合いにおいて「発明」なのかは分からないが、恋愛が人間の発明の産物である場合、後天的スキルである恋愛や恋愛に伴う特定の人間との性行為は、獲得不可能な人間がいてもおかしくはない。三角関数という数学的スキルが一部の人間にとっては後天的に獲得できないスキルであるのと同じように。
しかし、こうなるとゲイやレズビアンなどの生殖を伴わない恋愛感情を否定することにつながる。
しかし、ペンギンやネズミなど、集団で行動する動物において、同性間における疑似性行為は観測されているので、動物は同性間でも性欲がわく=性欲の発露である恋愛も同性で可能なのだ。

恋愛が存在するのかについては、性欲の発露の結果としての頻繁に起こる脳の誤作動を恋愛と定義するか、恋愛は恋愛ではなく脳の誤作動=病気であるとして治療すべき病理とみなすのか、はたまた脳の誤作動すら起こっておらず、ただ恋愛小説や恋愛映画など文化との接触の中で、存在しないものがあたかも存在しているかの如く錯覚されただけである。=お化けや幽霊や神や妖精のように、人間の想像力の賜物=恋愛である!等々…様々な可能性があり、私はこの「恋愛実は存在しなかった説」は手に負えない。もっと賢い人たち、恋愛非存在説となえた新書出してちょーだい!


今回の記事はこれで以上である!
個人的には第一の養老さんの「都市化と自然排除」を恋愛にも落とし込んだ論が最も面白い考察だと感じていて、これ以上の面白い説を思いついたり発見したりしたら、また記事を書きたいと思っている。やっぱ根拠なくかけるから、こういうラフなエッセイ形式っていいね。論文だと根拠だ先行研究だって堅苦しくて、結局純粋な思いつきやひらめきはなかなか有効な形としてまとめることは出来ないことが多いんだから。






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